『ドラゴンボール』第43話「謎のジャッキー・チュン」(其之四十三)は、第21回天下一武道会・準決勝にあたる2回戦、クリリン対ジャッキー・チュンの決着編です。前話「大攻防戦!」のラストで、クリリンはギャルのパンティを武舞台に放り投げるという奇策に出ました。
飛びついたジャッキー・チュンの隙を突き、渾身の蹴りで場外へ蹴り飛ばす──ここまでが其之四十二。其之四十三は、その蹴り飛ばされたジャッキー・チュンが空から落ちてくるところから始まります。勝負あり、と誰もが思ったその瞬間から、この回は始まるわけです。
其之四十三のあらすじ
武舞台のはるか外側、空中に投げ出されたジャッキー・チュン。クリリンは勝利を確信して大喜びしています。天下一武道会のルール上、場外に落ちてしまえばその時点で負けですから、当然の反応です。
ところがジャッキー・チュンは負ける気がありません。空中で体勢を整えると、両手を腰だめに構えます。そして放たれたのは──かめはめ波。
ただし相手に向けて撃ったのではありません。武舞台とは反対方向に撃ち、その反動を推進力にして、自分の体を武舞台へと押し戻したのです。いわば逆噴射です。落下しかけていた老人が、光の尾を引きながら会場へ舞い戻ってくる。観客も、実況アナウンサーも、開いた口が塞がりません。

そして悟空が口にします。「今のかめはめ波だろ?」
ブルマも悟空も、この技を見るのは初めてではありません。二人はフライパン山で、亀仙人が山ごと火を消し飛ばす最大出力のかめはめ波を目の当たりにしています。見間違えようがないのです。
アナウンサーもすかさず解説を入れます。かめはめ波を使えるのは、世界でただ一人、あの武天老師様だけのはずだ、と。会場がどよめきます。
観客席のヤムチャは、ここでほぼ確信に至ります。この老人は亀仙人だ、と。もっとも当のジャッキー・チュンは、そんな空気などどこ吹く風で、客席の女の子に「サインをしてもよい」などと上機嫌です。この振る舞いがまた、疑いを補強してしまうのですが。
手詰まりのクリリン、そして一撃
試合が再開されます。しかしクリリンには、もう手がありません。パンティ作戦という切り札は使い切りました。スピードでも技術でも上を行かれていることは、ここまでの攻防で嫌というほど思い知らされています。
困り果てたクリリンは、思わず悟空に助けを求めます。オラ、どうすればいい、と。返ってきた悟空の答えは、要するに「勝て、勝つしかない!」というものでした。助言にも作戦にもなっていません。クリリンが呆れるのも無理はないでしょう。
結局クリリンは、考えることをやめて突っ込みます。しかしジャッキー・チュンは軽々と跳んでこれをかわし、クリリンは勢い余って壁に激突。笑われます。頭に血が上ったクリリンは、もう一度突進します。今度はジャッキー・チュンの姿が、目の前から消えました。

悟空が「後ろだ!」と叫びますが、間に合いません。背後を取ったジャッキー・チュンの手刀が、クリリンの背中に突き刺さります。クリリンは一撃で沈みました。
ジャッキー・チュンは、カウントが始まるのを待たずに悠然と控室へ引き上げていきます。カウントは十まで進み、ジャッキー・チュンのKO勝ちが宣告されました。観客席のヤムチャは、あれは残像を使ったスピードだ、と見抜いています。クリリンは担架で運ばれていきました。
舞台裏で始まる「正体暴き」
場面は控室へ。悟空がクリリンの容体を心配しているところに、ヤムチャがずばりと言い放ちます。あなたが武天老師様だ、と。悟空は否定します。だって亀仙人には髪の毛がねえもん、と。ヤムチャの答えは明快でした。あれはカツラだ、と。
そこからは、ほとんどコントです。ヤムチャはジャッキー・チュンの髪の毛を掴んで力任せに引っ張りますが、まったく取れません。それでもヤムチャは引き下がらず、これが地毛で、普段のツルツル頭のほうがカツラなのだ、という無茶な理屈をひねり出します。

次にヤムチャが持ち出したのが、悟空の鼻です。悟空の嗅覚なら、亀仙人と同じ匂いかどうか嗅ぎ分けられるはずだ、と。ところが悟空は「へんなニオイがジャマしてわかんねえ」と答えます。ジャッキー・チュンが、その場で自分に香水を吹きかけていたのです。
追及は空振りに終わりました。そして、次の試合──孫悟空対ナム──の呼び出しがかかります。ヤムチャは最後まで、あいつは絶対に武天老師様だ、と言い続けているのでした。
なぜ亀仙人は、正体がバレる技を使ったのか
この回の最大の見どころは、間違いなく「かめはめ波の逆噴射」です。しかしこの一手は、変装している当人にとっては最悪の悪手でもあります。かめはめ波は亀仙流の奥義であり、この時点で世界にほぼ一人しか使い手がいない技なのですから、撃った瞬間に「私は亀仙人です」と名乗ったに等しい。実際、これが決め手となってヤムチャは確信に至ります。
それでも亀仙人は撃ちました。ここから読み取れるのは、彼にとって「負けないこと」の優先順位が、「正体を隠すこと」よりも上だった、という事実です。
のちに明かされる通り、亀仙人が変装してまで大会に出た目的は、弟子たちに優勝させないことでした。悟空とクリリンが天下一武道会で優勝してしまえば、自分たちが世界一だと思い込み、修行を怠るかもしれない。それを防ぐために、上には上がいると身をもって教える。それが目的です。
この目的に照らすと、準決勝でクリリンに場外負けするのは完全な失敗です。弟子が優勝してしまうからです。だからこそ、正体を犠牲にしてでも武舞台に戻らねばならなかった。この回の逆噴射は、亀仙人が師匠としての目的を、変装というリスク管理よりも優先した瞬間として読めます。老人がやたらとおどけている裏側で、実はかなり真剣な判断が下されていたのです。
「逆噴射」という発想が意味するもの
技術的に見ても、この一手は面白いところを突いています。天下一武道会の場外負けは、あくまで武舞台の外の地面に体が触れて成立するものです。空中にいる間は、まだ負けが確定していない。ジャッキー・チュンは、その「まだ落ちていない一瞬」を使い切ったわけです。
そして使ったのが、攻撃技であるはずのかめはめ波を、移動のための推進装置として転用するという発想でした。この時点の『ドラゴンボール』世界では、まだ誰も自力で空を飛べません。
筋斗雲という反則級の移動手段こそありますが、生身で空中の姿勢を制御するという概念は存在しないのです。そこに、気を後方に噴射して自分を動かすという解法が突然差し込まれる。この気持ちよさは、初読時にかなりの衝撃だったのではないでしょうか。
さらに言えば、これは亀仙人が長年の修行の中で編み出した応用というより、その場の機転で成立した曲芸に見えます。一つの技を状況に合わせて別用途に転用する。この「技の運用の巧みさ」こそが、後の決勝戦で悟空を苦しめる亀仙人の本質でもあります。第43話は、その片鱗が最初に出た回だと言えるでしょう。
かめはめ波は「世界に一人だけの技」だった
アナウンサーの解説によって、この回でひとつ重要な設定が読者に共有されます。かめはめ波は、武天老師しか使えない技として世に知られている、ということです。
現代の感覚で読むと、かめはめ波はあまりにも当たり前の技です。悟空も、クリリンも、悟飯も、ヤムチャも撃つ。しかし物語のこの時点では、かめはめ波は極めて希少な、伝説クラスの奥義でした。習得に五十年かかると言われた技を、悟空だけが一目見て会得してしまった──その異常さが、この回の観客のどよめきによって逆照射されます。
つまり、この回のアナウンサーの一言は、変装バレのフラグであると同時に、「悟空という少年がどれだけ規格外なのか」を読者に再確認させる装置にもなっているわけです。作品全体を通してかめはめ波の価値が下がっていく、その最初期の高値を記録した回として、第43話は資料的な意味を持ちます。
クリリンの負け方が、丁寧に描かれている
クリリンの敗北の描かれ方も、じっくり読むと相当に丁寧です。
クリリンは奇策を用意していました。パンティ作戦は、相手の性癖という弱点を突いた、この試合唯一の勝ち筋でした。そして実際、それは機能したのです。あと一歩で師匠を場外に落とすところまでいった。ここまでは、クリリンの作戦勝ちです。
しかし切り札を使い切った後、クリリンには何も残りませんでした。突っ込んで、かわされて、壁にぶつかり、頭に血が上って、もう一度突っ込んで、背中を打たれる。作戦家だったはずのクリリンが、最後は何も考えずに突撃して沈むのです。
この落差が残酷で、そして正確です。クリリンは八ヶ月の修行で、亀仙人自身が舌を巻くほどの領域まで到達しました。それでもなお、師匠との間には埋めようのない差がある。頭脳と工夫で一度は肉薄できても、それが尽きた瞬間に地力の差がそのまま現れる。実力差というものが、こういう形で描かれるのは非常にリアルです。
そして、そこにかぶさるのが悟空の「勝つしかない」という助言です。これは悟空というキャラクターの本質をよく表しています。悟空は理屈で戦っていません。感覚で戦っている。だから、なぜ勝てるのかを言語化できないし、他人に教えることもできない。クリリンがどれだけ真剣に策を練っても、悟空にとっては「勝てばいい」以上の話ではないのです。
同じ師匠に、同じ期間、同じ修行をつけてもらった二人。その差がどこにあるのかを、この短いやり取りが端的に示しています。次話以降、悟空がナムを相手にどう戦うかを見れば、この対比はさらに鮮明になるでしょう。
ヤムチャは「読者の代理人」である
この回のもう一つの主役は、間違いなくヤムチャです。
ヤムチャは、ジャッキー・チュンの態度に違和感を覚え、そこからずっと正体を疑い続けてきました。この回でついに確信に至り、髪を引っ張り、悟空に匂いを嗅がせ、それでも決定打を得られずに終わります。
面白いのは、読者はとっくに正体を知っている、という点です。私たちは亀仙人が変装する場面を最初から見せられています。だからこのやり取りは、犯人当てのサスペンスではありません。真相を知っている読者が、真相に手が届きそうで届かない登場人物を眺めて楽しむ構造──いわゆるドラマチック・アイロニーです。
そして、この構造の中でヤムチャが担う役割は極めて重要です。もし誰も疑わなければ、「なぜ誰も気づかないんだ」という不満が読者側に溜まってしまいます。ヤムチャが読者の代わりに疑い、追及し、そのたびに阻まれることで、「気づかれないこと」に説得力が生まれるのです。カツラが取れない、匂いは香水で消される──失敗の理由が毎回きちんと用意されている点も見逃せません。
同時にヤムチャは、この回で「残像を使ったスピードだ」とジャッキー・チュンの動きを解説してもいます。武道家としての見識は確かなのです。それでもカツラは取れない。この、有能さと空回りが同居した造形が、後年に至るまで続くヤムチャというキャラクターの原型になっているように思います。
「謎の」ジャッキー・チュンとは、誰にとっての謎か
最後にタイトルについて。「謎のジャッキー・チュン」というサブタイトルは、読者にとっては謎でも何でもありません。読者はとうに正体を知っているからです。
では誰にとっての謎かと言えば、作中の登場人物たち──とりわけクリリンにとっての謎です。この回でクリリンは初めて、自分が戦っている相手の正体に疑いを抱きます。師匠かもしれない相手に、自分は下着を投げつけて隙を作ろうとしたのかもしれない。そのうえ、手も足も出ずに一撃で沈められる。
その意味で、このタイトルは「読者はもう答えを知っているのに、リング上の少年だけが分かっていない」という状況そのものを指しています。少し意地の悪い、しかし的確な題です。
なお、ジャッキー・チュンという名前がジャッキー・チェンをもじったものであることはよく知られています。鳥山明先生がジャッキー・チェンのファンだったことに由来し、そもそも『ドラゴンボール』という作品自体、担当編集からの「そんなにジャッキー・チェンが好きなら格闘物を描いたら」という提案が出発点のひとつになったと語られています。作者が最も好きなものの名前を、作中最強クラスの老人に与えている──そう考えると、この変装にはちょっとした愛着も込められているのかもしれません。
まとめ
第43話「謎のジャッキー・チュン」は、一見すると準決勝の決着をつけるだけの回に見えます。しかし実際には、
- 亀仙人が「弟子を勝たせない」という目的のために、正体露見のリスクを取った回
- かめはめ波の希少性が明示され、同時にその技を即座に会得した悟空の異常さが逆照射された回
- 工夫で肉薄したクリリンが、地力の差で沈められた回
- ヤムチャが読者の代理人として機能し、変装が破られない理由をきちんと積み上げた回
という、いくつもの役割を同時にこなしている密度の高いエピソードです。
そして物語は、いよいよ準決勝のもう一方の試合、孫悟空対ナムへと進みます。祈りのために大会へ来た男と、ただ強い相手と戦いたいだけの少年。この対戦が、天下一武道会編の中でも屈指の名勝負になっていくわけですが、それは次回のお話です。


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