前話・其之四十四「孫悟空対ナム」は、ナムが天高く跳び上がり、両腕を胸元で交差させ、「南無阿弥陀仏!!」と唱えながら悟空めがけて落下していく——まさにその瞬間で終わっていました。
技の名は天空×字拳(てんくうぺけじけん)。倒れた相手の喉元を、×字に組んだ両腕で撃ち抜く、ナムの奥義です。
つまり週刊連載を追っていた当時の読者は、この一撃が命中するのかどうかを知らないまま、まる一週間を過ごしたことになります。其之四十五「大空中戦!」は、その持ち越された一撃の着弾からスタートします。
準決勝第2試合、孫悟空対ナム。第21回天下一武道会でもっとも「読めない」試合が、ここから一気に決着まで走り抜けます。
天空×字拳、まともに命中する
其之四十四の終盤、悟空は自分から仕掛けた回転攻撃で目を回し、武舞台の上に倒れ込んでいました。ナムからすれば絶好の好機です。ただし、迂闊に近づけば、直前に見せられたように悟空の尻尾で足を絡め取られる危険がある。だからこそナムは「天から攻める」という結論を出し、上空からの一撃を選びました。そして其之四十五。天空×字拳は、狙いどおり悟空に直撃します。

ナムいわく、この技を受けた者は十日間目を覚まさない——もっともそれは「常人なら」という但し書き付きの話です。とはいえ、倒れて動かない悟空を前にすれば、その但し書きを気にする観客はいません。場内は一気に決着ムードに傾きます。

ここで注目したいのは、ナムがこの技を「トドメ」として使っていることです。ナムは悟空を場外に落とすことも狙えたはずですが、尻尾という不確定要素を嫌って、確実に意識を刈り取る方向へ舵を切りました。手堅い判断です。
カウント9で立ち上がる悟空
天下一武道会には、場外負けのほかにKO負けのルールがあります。倒れて立ち上がれなければ、カウント10で敗北。悟空にカウントが入るのは、シリーズを通してもここが初めてです。
そしてカウントが9まで進んだところで、悟空は起き上がります。

この場面の作りは、鳥山明先生が繰り返し使う「基準値を提示してから、それを壊して見せる」という手法の、ごく初期の実例だと言えます。まずナム自身の口から「十日間は目が覚めない」という数字を出しておき、次のコマでそれを九秒で無効化する。悟空の頑丈さを言葉で説明する必要が一切ないわけです。
ナムの側から見れば、これは相当に恐ろしい出来事です。自分の最強の一撃が、正確に、まともに入った。それでも相手は立っている。ナムはこれを「的が外れたのだろう」と解釈します。技そのものが通じなかった可能性ではなく、自分の精度の問題として処理したわけです。この解釈が、そのまま次の行動、そして敗因につながっていきます。
さらに高く跳ぶナム、追いかける悟空
ナムが選んだのは、同じ技をより高い位置から放つことでした。落下距離を伸ばして威力を上乗せする——超天空×字拳です。
ナムの跳躍は、雲を突き抜けるほどの高さに達します。武舞台どころか、会場そのものが眼下に小さくなるような高度です。舞空術がまだ存在しない世界で、生身の跳躍だけでここまで到達している時点で、ナムが常識外れの身体能力の持ち主であることがわかります。

ところが悟空は、待ちませんでした。ナムを追って、自分も跳び上がったのです。
亀仙人の修行を経た悟空の跳躍力は、ナムに追いつく。そして両者は上空で激突します。地面もロープも足場もない空間で、殴り、蹴り、組み合いながら落下していく——これがサブタイトルの「大空中戦!」です。
先に降りた者が、勝った
空中の攻防を経て、先に武舞台へ降り立ったのは悟空でした。ナムはまだ空中に残っています。
ナムにとって、これ以上ない状況に見えました。眼下に、地上で無防備に立つ悟空がいる。得意の間合いです。ナムは勝利を確信し、腕を×字に組んで急降下しました。
しかし悟空は動きました。落下してくるナムの軌道から素早く外れ、着地寸前の——つまり進路を変えられないナムに、蹴りを打ち込みます。急降下の勢いをそのまま横方向へ振り替えられたナムは、武舞台の外へ落下。場外負けです。
第21回天下一武道会・準決勝第2試合は、孫悟空の勝利で幕を閉じました。悟空は決勝でジャッキー・チュンと当たることになります。
ナムは「相手を見て戦い方を変えた」最初の対戦相手
ここからは考察に入ります。
第21回天下一武道会の本選出場者を思い返すと、悟空・クリリン・ヤムチャ・ジャッキー・チュンを除いた顔ぶれは、正攻法で勝ちに来ていません。強烈な体臭で相手を怯ませたり、色仕掛けで動きを止めたり、粘着質のガムで身動きを封じて場外を狙ったり——搦め手が中心でした。
そのなかでナムだけは、純粋な武術で悟空と渡り合っています。しかもナムは、ただ真っ向勝負を挑んだだけではありません。悟空の尻尾に足を取られた経験から、「地上で組みつくのは危険だ」と判断し、上空からの攻撃という別の解を出しました。さらに一撃目が効かなかったと見るや、高度を上げて威力を積み増そうとした。
つまりナムは、試合中に二度、戦術を組み直しています。第21回大会で、悟空を相手にこれをやってのけた選手はナムだけです。この試合が今なお名勝負として語られるのは、悟空が強かったからというより、ナムが考える相手だったからでしょう。
ナムの敗因は「自分の必殺技を信じすぎたこと」
一方で、ナムの二度目の判断には落とし穴がありました。一撃目が効かなかったとき、ナムには本来ふたつの可能性がありました。ひとつは「狙いがわずかに外れた」。もうひとつは「この技では悟空を仕留められない」。ナムは前者を選び、同じ技をさらに強化する方向に進みました。
しかし天空×字拳は、跳躍の初速で軌道が決まる技です。落下が始まってしまえば、方向も速度も修正できません。高度を上げれば上げるほど威力は増しますが、同時に「途中で止められない度合い」も増していきます。ナムは、威力と引き換えに、自分の選択肢を削っていたわけです。
悟空はそこを突きました。動けない相手を撃つのが天空×字拳なら、動けない相手はナム自身でもあったということです。必殺技を持つ者が、その必殺技への信頼ゆえに読まれて負ける——これは以降のドラゴンボールで何度も繰り返される構図です。ナムはその最初期の例だと言っていいでしょう。
なお、悟空が先に降りたことが最初から仕込まれた作戦だったのか、空中戦の流れでそうなっただけなのかは、読み手によって解釈の分かれるところだと思います。ただ結果として、着地した悟空はナムを「待って」いました。狙ってやったのだとすれば、悟空が初めて罠を張って勝った試合ということになります。
ここで「空中戦」という文法が生まれた
この第45話は、ドラゴンボールという作品全体にとって、かなり重要な発明をしています。それは「武舞台の上ではなく、武舞台の上空が戦場になる」という発想です。
天下一武道会のルールは、武舞台の外に落ちれば負け、というものでした。ということは、地面に足がついていない状態は、極端に言えば「まだ勝負がついていない状態」です。この試合で悟空とナムは、その隙間を初めて本格的に使いました。空中で殴り合い、どちらが先に、どこに降りるかを争ったわけです。
この構図は、後の大会でそのまま拡張されていきます。第22回天下一武道会の決勝、悟空対天津飯の闘いでは、武空術で空中に留まっている天津飯に向かって追撃を仕掛けようと不用意に飛び上がった悟空が、どどん破で地中深くに撃ち落とされています。ナム戦では空中戦を制した悟空でしたが、天津飯戦では逆に悟空が後れをとっているのです。

さらに試合の終盤、天津飯の気功砲によって武舞台そのものが消し飛び、「先に地面についたほうが負け」という条件で決着がつけられました。舞空術が使える天津飯に対して、悟空はかめはめ波を後方に撃って推進力を得て体当たりを仕掛けますが、結果的には先に地面に落ちた悟空の敗北となってしまいました。
つまり、「空中に留まれる者が有利」という価値観は、ここから始まって少しずつ強度を上げ、最終的にドラゴンボール後半の飛行バトルへとつながっていくわけです。第45話は、その最初の一段目にあたります。
面白いのは、この段階ではまだ誰も飛べないことです。悟空もナムも、ただ跳んでいるだけで、落下という物理からは逃れられていません。だからこそ「先に降りたほうが不利/有利」という駆け引きが成立しました。全員が自由に飛べるようになった後の世界では、この駆け引きはもう成立しません。其之四十五でしか描けない種類の攻防だったと言えます。
勝ってもよかった男
ナムというキャラクターの特異さは、負けたことに後味の悪さがないのに、勝ってほしかったと思わせる点にあります。ナムが天下一武道会に出場した理由は、優勝賞金50万ゼニーです。故郷の村が深刻な水不足に苦しんでおり、その金で水を買って帰るために、母と弟と村の人々を背負って武舞台に立っています。前話には、その決意を胸の内で反芻する場面がありました。
つまりこの試合は、「悪を倒す物語」ではありません。悟空にもナムにも勝つ理由があって、どちらが勝っても間違いではない試合です。天下一武道会という舞台装置が優れているのは、まさにこの点です。参加者それぞれに事情があり、事情の重さと強さは比例しない。強い者が勝ち、それだけのことが起こる。
そして鳥山明先生は、この試合の後始末をきちんとつけます。次話・第46話で、ジャッキー・チュンがナムの事情を察し、この付近では水がタダで手に入ることを教え、大量の水を運ぶためのホイポイカプセルを渡すのです。ナムは負けましたが、目的は達成されました。
勝負は勝負として容赦なく決着させ、そのうえで人としての救いは別の形で用意する。ドラゴンボールという作品が長く愛されている理由の一端が、この第45話から第46話への流れに表れているように思います。
まとめ
其之四十五「大空中戦!」で確認しておきたい点を整理します。
- 天空×字拳は悟空にまともに命中したが、悟空はカウント9で立ち上がった
- ナムは「狙いが外れた」と判断し、より高い位置から放つ超天空×字拳を選択した
- 悟空はナムを追って空へ跳び、上空での攻防が繰り広げられた
- 先に武舞台へ降りた悟空を狙ってナムが急降下したが、悟空はこれをかわし、着地寸前のナムを蹴って場外に落とした
- 悟空が決勝に進出し、対戦相手はジャッキー・チュンに決まった
「上空を戦場に使う」という発想が、この試合で初めて本格的に持ち込まれました。まだ誰も飛べない時代の空中戦は、この一戦にしかない緊張感を持っています。
次回は其之四十六「大決勝戦」。ついに悟空対ジャッキー・チュン、第21回天下一武道会の決勝戦が始まります。


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