ドラゴンボール 第46話のあらすじ考察「大決勝戦」

ストーリー
引用元 ドラゴンボール 集英社

其之四十六「大決勝戦」は、「大決勝戦」というタイトルでありながら、14ページのうち戦闘らしい戦闘は一コマもありません。最後のコマでジャッキーが悟空に向かって踏み込む、そこで次号へと続きます。つまりこの回は、決勝戦を描いた回ではなく、決勝戦が始まるまでの「10分間」を描いた回なのです。

其之四十六「大決勝戦」のあらすじ

前話でナムを下した悟空のもとへ、クリリンが武舞台に駆け上がってきて一緒に喜びます。一方のジャッキー・チュンは、その様子を見ながら浮かない顔をしています。ヤムチャは「今の悟空ならジャッキーにも勝てる」と強気ですが、当のジャッキーは、自分が確実に勝てるとは言い切れないと感じ、決して油断しないと心に決めます。

倒れていたナムも武舞台に戻り、悟空と握手を交わして勝利を称えます。アナウンサーが、決勝戦の前に10分間の休憩を挟むことを告げました。

控室では、ナムが荷物をまとめて会場を去ろうとしていました。優勝賞金を得られなかった以上、水不足に苦しむ村へ手ぶらで帰るしかありません。そこへジャッキーが現れ、ナムにカプセルをひとつ投げて渡します。これを使えば大量の水を持ち帰れる、と。
なぜ水のことを知っているのか。驚いて問いただすナムに対し、ジャッキーは、自分は武天老師なのだからそのくらいは見抜ける、という趣旨のことを答えます。あっさりと正体を明かしたのです。

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さらに驚くナムに、亀仙人は変装の理由を語ります。この大会には自分の弟子であるクリリンと悟空が出ている。二人とも、修行前の予想をはるかに超えて強くなった。とくに悟空は、底の見えない力を秘めているように思える。だからこそ、ここで優勝などさせるわけにはいかない──世の中にはまだまだ上がいるのだと二人に思い知らせるために、正体を隠して出場したのだ、と。

ナムが「その髪はカツラなのか」と尋ねると、亀仙人は接着剤で貼りつけているので簡単には取れない、しかもかゆくてたまらない、と応じます。ナムは深く感謝しつつ、しかしカプセルを返そうとします。優勝できなかった自分には、水を買う金がないからです。ところが亀仙人は、外に井戸があるから好きなだけ汲んでいけばいい、と笑って指し示しました。この土地では、水は買うものですらなかったのです。

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そこへ、決勝戦の呼び出しがかかります。何度も礼を言うナムに、亀仙人はふと思いついたように、ひとつ頼みごとをします。
武舞台へ向かう道すがら、ヤムチャはなおもジャッキーに食い下がります。「弟子に負けたら格好がつかないでしょう」と。ジャッキーは、自分は武天老師ではないと言い張り、観客席の一点を指さしました。そこには、サングラスに髭、亀仙人そのものの姿をした人物が堂々と座っていたのです。ヤムチャは目を疑いながらも納得し、悟空とクリリンのもとへ戻って「ジャッキーは武天老師ではなかった」と報告します。悟空は、世の中にはもう一人、あんなに強そうなじいさんがいるのか、と受け取ります。

その頃、観客席の「亀仙人」はサングラスと付け髭を外していました。亀仙人に借りた変装を返し、ナムは会場をあとにします。頼みごとの正体は、これでした。

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武舞台の上で向かい合う二人。アナウンサーは、決勝戦だというのに悟空があまりに嬉しそうなことに驚きます。悟空は、あんなに強そうなじいちゃんと戦えるのだからワクワクする、と答えました。にらみ合う師弟。開始の合図とともに、ジャッキーが地を蹴って飛び出したところで、この回は終わります。

14ページすべてを「休憩時間」に使った意味

準決勝が終わり、決勝が始まる。その間に挟まれた10分間という、物語上は完全な空白の時間。鳥山先生はここに、一話分をまるごと投じました。

しかもこの10分間で処理されているのは、どれも溜め込まれていた宿題ばかりです。ナムの村をどうするのか。亀仙人はなぜ変装してまで出場したのか。ヤムチャの「ジャッキー=亀仙人」疑惑にどう決着をつけるのか。この三つが、休憩時間の控室と通路だけで、ほぼ同時に片づけられています。

大会の山場である決勝戦を、余計な説明を挟まずに最後まで走り切らせるための整地作業。そう考えると、この回は「戦わない回」ではなく、「戦いだけを残すための回」と言うべきかもしれません。実際、其之四十七以降の決勝戦は、途中でほとんど足を止めることなく最後まで駆け抜けていきます。

亀仙人の目的は「勝つこと」ではなく「勝たせないこと」

この回で最も重要なのは、亀仙人の動機がはじめて本人の口から語られたことです。
正確に言えば、ジャッキー・チュンの正体そのものは、読者にとってほとんど公然の秘密でした。これまでにも、ヤムチャが本人に面と向かって「あなたは武天老師でしょう」と詰め寄っていますし、かめはめ波を目の当たりにしたアナウンサーが武天老師の名を口にし、試合後にヤムチャがカツラを引っ張り、悟空に匂いまで嗅がせています。

ただし、そのどれもが状況証拠どまりでした。本人が認めた場面は一度もなく、まして「なぜ出場しているのか」という理由は、ここまで一行も語られていません。
其之四十六は、その二つが同時に埋まる回です。そして彼が挙げた理由は、腕試しでも弟子の観戦でもありませんでした。弟子たちが予想以上に強くなってしまったからこそ、ここで天下一の称号を取らせてはいけない、というのです。

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これは、武道会という装置そのものに対する批評になっています。「天下一」という肩書きは、それを手にした者に「もう自分より上はいない」と思わせてしまう。亀仙人が恐れているのは弟子の敗北ではなく、弟子が到達点に立ってしまうことです。だから彼は、優勝候補を叩き潰すためだけに、かゆいカツラを接着剤で貼りつけて武舞台に上がりました。

そしてこの「上には上がいる」という一点が、そのままシリーズ全体の背骨になっていきます。悟空はこのあと、ピッコロ大魔王、ベジータ、フリーザ、セル、魔人ブウと、常に自分より強い相手に出会い続ける物語を生きることになります。その構造を最初に用意したのが、変装した老人の、たった数コマの説明台詞だったわけです。

なぜ、明かす相手がナムだったのか

正体を明かす相手としてナムが選ばれたことにも、きちんと理由があります。
第一に、ナムはもう帰る人間です。大会からも物語からも離れていく相手であれば、秘密が漏れる心配はありません。第二に、亀仙人には頼みごとがありました。ヤムチャの追及を断ち切るには、観客席に「本物の亀仙人」を立たせる必要があったからです。

つまりこの一連のやりとりは、一方的な施しではありません。亀仙人はナムに水を運ぶ手段を与え、ナムは亀仙人に身代わりを提供する。ごく短いページ数の中で、贈与と返礼がきれいに閉じています。ナムが変装を外して去っていくコマは、彼の物語が完結した合図でもあります。

なお、ナムの事情はここまで、彼自身の回想や心中の独白として読者に示されてきました。それを亀仙人がどうやって知ったのかについて、作中で与えられる説明は「自分は武天老師だから」の一言だけです。理屈で埋めるのではなく、キャラクターの格で押し切る。この処理の潔さも、鳥山作品らしいところだと思います。

50万ゼニーの水と、タダの井戸

この回で個人的に最も引っかかるのが、井戸のくだりです。ナムは、村に水を持ち帰るために優勝賞金50万ゼニーを必要としていました。ところが大会の会場では、井戸から好きなだけ水を汲んでよい。つまり彼の村が抱えていたのは「世界に水がない」という問題ではなく、「水のある場所から、水のない場所へ運ぶ手段がない」という問題だったことになります。

そう考えると、亀仙人が渡したものの意味が変わってきます。彼が与えたのは金銭ではなく、輸送手段です。カプセルという技術が一切届いていない土地があり、その一個があるかないかで村の生死が分かれる。ドラゴンボールの世界は、恐竜とカプセルとドラゴンレーダーが同居する陽気な世界に見えて、その豊かさは決して均等には配られていません。

ナムがカプセルという道具の存在は知っていながら、この土地では水がタダで手に入ることを知らなかった、というすれ違いも示唆的です。技術の噂は遠くまで届くのに、暮らしの実情は伝わらない。ギャグの体裁をとった二コマほどのやりとりですが、この世界の広さと歪みが、さりげなく描き込まれています。

ちなみに、その後ナムの村がどうなったのかを描いたエピソードはアニメ版に存在しますが、これは原作にはない追加分です。原作でのナムの物語は、この井戸の一件で静かに閉じています。

誰も騙せなかった変装が、初めて成立する瞬間

ヤムチャによるジャッキー=亀仙人の追及は、第43話でカツラを引っ張られ、匂いを嗅がれ、と、しつこく続いてきたネタでした。それがこの回で、ようやく決着します。

面白いのは、その決着のつき方です。ジャッキーの変装自体は、最後まで誰一人として本気で騙せていません。にもかかわらず、観客席に二人目の偽物が現れた瞬間、一人目の変装が突然「本物」になってしまう。嘘は、それ単体ではなく、もう一つの嘘に裏書きされることで初めて信用されるわけです。

しかもその二人目を用意したのが、変装を見破っていた当人(亀仙人)自身という入れ子構造になっています。そして悟空は、この一件から「世の中にはもう一人強いじいさんがいる」と学習してしまう。亀仙人が教えたかった「上には上がいる」という教訓が、本人の意図しない形で、先に一つ余分に伝わってしまったことになります。

「強そうなじいちゃんと戦えるからワクワクする」

決勝戦を前に嬉しそうな悟空を見て、アナウンサーが驚く場面があります。ここで悟空が返す答え──強そうな相手と戦えるのが楽しみだ──は、この先およそ四十巻にわたって繰り返されることになる、彼の行動原理そのものです。

重要なのは、この時点でサイヤ人という設定が影も形もないことです。1985年秋の時点では、悟空はまだ「尻尾の生えた、やたらと強い野生児」でしかありません。のちに「戦闘民族だから」と説明づけられる性質は、まず理屈抜きの子どもの気質として提示され、三年以上あとになってから種族的な理由が与えられた、という順番になります。

設定が先にあって性格が決まったのではなく、性格が先にあって、それを説明する設定があとから来た。悟空というキャラクターの成り立ちを考えるうえで、この回の一コマは小さな証拠になっていると思います。

ジャッキー・チュンが浮かない顔をしている理由

冒頭、悟空の勝利を喜ぶクリリンの横で、ジャッキーだけが表情を曇らせています。そして、自分が勝てるとは限らないと考え、油断しないと決意します。

クリリン戦の彼を思い出してください。アナウンサーからマイクを奪って歌い踊り、場外に落ちかけてもかめはめ波で武舞台に戻ってくる。徹底して余裕のある姿でした。その同じ人物が、ナム戦を見終えた時点で、勝敗の予測を立てられなくなっている。

師弟の距離が縮まりはじめる地点が、ここに明確に置かれています。そしてこの緊張感こそが、次回以降の決勝戦を、ただの「師匠が弟子を諭す試合」ではない、本気の削り合いへと変えていくことになります。

おわりに

第46話は、派手な技も決着もない、地味な回です。しかしここで語られた亀仙人の動機と、悟空の一言と、井戸の水は、いずれもこの先の物語を支える土台になっています。

そして最後のコマで、ジャッキー・チュンが踏み込みます。次回、第47話のタイトルは「かめはめ波」。師の奥義を、弟子が師に向かって撃つ回です。

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