ドラゴンボール 第37話のあらすじ考察「第2試合」

ストーリー
引用元 ドラゴンボール 集英社

其之三十六「第1試合」では、クリリンがバクテリアンの殺人的な悪臭に苦しみながらも、「自分には鼻がない」という身も蓋もない事実を武器に逆転勝利を収めました。天下一武道会・本戦の開幕戦としては、笑いと意外性に満ちた一戦だったと言えるでしょう。

そして今回取り上げるのは、其之三十七「第2試合」です。
『週刊少年ジャンプ』1985年37号に掲載され、ジャンプ・コミックスでは第4巻の巻頭を飾る一話。第3巻が「第1試合」で終わり、第4巻が「第2試合」から始まるという構成になっています。アニメでは第22話「ヤムチャVSジャッキーチュン」として、次の第38話「第3試合」とまとめて映像化されました。

ページ数にしてわずか16ページ。試合時間にすれば、おそらく数十秒。
それなのにこの一話は、『ドラゴンボール』という作品の力学──「強さの物差しをどう読者に伝えるか」という、後のシリーズを支配し続ける方法論を、はっきりと確立してしまった回だと私は考えています。

其之三十七「第2試合」のあらすじ

第1試合の余韻が残る会場に、第2試合の両者が呼び出されます。
一方は、ヤムチャ。かつて荒野の盗賊「ハイエナヤムチャ」として悟空たちの前に立ちはだかり、狼牙風風拳で幼い悟空を苦しめた男です。読者はこの時点で、ヤムチャが「強い」ことを知っています。予選も危なげなく突破し、本戦の舞台に立っている、正真正銘の実力者です。

そしてもう一方が、ジャッキー・チュン。
その正体は、カツラとサングラスで変装した亀仙人(武天老師)。悟空とクリリンに「世の中にはまだまだ上がいる」と身をもって知らしめ、修行を続けさせるために、正体を隠して出場した──という事情は読者だけが知っています。悟空もクリリンも、ヤムチャも、この時点では気づいていません。

もっとも、ヤムチャは武道家としての勘で、この初老の男が「ただ者ではない」ことだけは感じ取っています。この嗅覚があるあたり、彼は決して見る目のない選手ではないのです。

引用元 ドラゴンボール 集英社

試合が始まります。ヤムチャは持ち前のスピードで打ち込んでいきます。しかし当たらない。ジャッキー・チュンは涼しい顔で、最小限の動きだけで、そのすべてをかわしていきます。
焦ったヤムチャは、ついに切り札を切ります。狼牙風風拳。腰を落とした低い構えから一気に間合いを詰め、狼の牙に見立てた拳を高速で叩き込む、彼の代名詞たる乱舞技です。悟空を苦しめたあの技が、いま師匠その人に向けて放たれる──読者としては、ここで一発くらい入ってほしいと願う場面です。

しかし、入りません。かすりもしません。そして決着は、あまりにもあっけない形で訪れます。
ジャッキー・チュンが、片手(左手)を勢いよく振り抜く。ただそれだけ。生じた突風がヤムチャの体を軽々と持ち上げ、そのまま武舞台の外へと吹き飛ばしてしまいます。

引用元 ドラゴンボール 集英社

場外。第2試合、ジャッキー・チュンの勝利。
後年の公式資料では「さわやかな風」という、いっそ人を食ったような技名が与えられているこの一撃。ヤムチャは最後まで、ジャッキー・チュンの体に指一本触れることができませんでした。

なぜ亀仙人は「かめはめ波」を使わなかったのか

まず注目したいのは、亀仙人がここで見せた「手加減の質」です。彼は、殴りませんでした。蹴りもしませんでした。かめはめ波も撃ちませんでした。ただ手を振っただけで、試合を終わらせています。
これは単なる余裕の表現ではなく、極めて合理的な判断だったと考えられます。というのも、この大会において「かめはめ波を使える人間」は、事実上、武天老師しかいないからです。実際、彼は2回戦のクリリン戦でかめはめ波を使わざるを得ない状況に追い込まれ、その瞬間、観客席は騒然となります。そして第43話のサブタイトルが「謎のジャッキー・チュン」であることが示す通り、そこから正体への疑念が一気に芽生えていく。

つまり第2試合の時点では、亀仙人は「正体を隠したまま、圧倒的な格の違いだけを示す」という、二律背反すれすれの課題を抱えていたわけです。
その解として選ばれたのが、風圧でした。武器を使わず、必殺技も使わず、名乗りもせず、それでいて「この男は次元が違う」ということだけは万人に伝わる。これ以上ないほど的確な一手だったと言えるでしょう。師匠として弟子に「上を見せる」ためだけに出場した男の、目的意識の徹底ぶりが表れています。

ヤムチャ「かませ犬」神話は、この日に始まった

現在のヤムチャに対する評価──「すぐ負ける人」「かませ犬」というイメージの起点は、間違いなくこの試合です。
ですが、冷静に戦績を並べてみると、彼の名誉のために言っておきたいことがあります。

  • 第21回天下一武道会:1回戦の相手はジャッキー・チュン(優勝者)
  • 第22回天下一武道会:1回戦の相手は天津飯(優勝者)

そう、ヤムチャは2大会連続で、1回戦にその大会の優勝者を引いているのです。これは実力以前に、クジ運の問題です。もし対戦相手がバクテリアンやランファンであったなら、1回戦を突破していた可能性は十分にあったでしょう。
にもかかわらず彼の評価が下がり続けたのは、「負け方」の差だと思われます。同じくジャッキー・チュンに敗れたクリリンは、2回戦で相手を場外へ蹴り出すところまで追い込み、かめはめ波で舞台に戻らせるという「底力」を見せました。一方のヤムチャは、一撃も当てられずに風で飛ばされた。

同じ敗北でも、読者の記憶に残るものが決定的に違ってしまったわけです。ヤムチャという男の悲劇は、彼が弱かったことではなく、「見せ場を与えられる前に決着がついてしまった」ことにあるのかもしれません。
なお、6年後の第23回大会で、シェン(神様)はヤムチャに「無駄な動きが多い」と忠告します。その萌芽は、すでにこの第2試合にあったと見ることもできそうです。

「場外」というルールが生む、この作品固有の緊張感

この試合の決着が「場外負け」であることも、見逃せないポイントです。天下一武道会には、相手を倒す以外に「武舞台の外に出す」という勝ち筋があります。これは単なるルール設定ではなく、鳥山明先生が物語をコントロールするための、極めて有効な装置として機能していきます。

実力差がありすぎる相手を、殺さず、傷つけず、しかし完膚なきまでに退場させられる。逆に、格上相手でも一瞬の隙を突けば勝ててしまう。第22回大会の決勝で、悟空が「先に地面(走ってきた自動車)に触れてしまった」という理由で天津飯に敗れたことを思い出してください。あの決着が成立するのも、この競技ルールがあってこそです。

強さのインフレが進んだ後年の『ドラゴンボール』では失われがちですが、この頃の武道会には「格闘技の試合」としての手触りが確かにあり、それが第2試合の理不尽さ(触れられないまま風で落とされる)を、より鮮烈なものにしています。

「既存キャラを物差しにする」という発明

そしてこれが、最も重要な点だと考えます。もしジャッキー・チュンが、無名の選手を風で吹き飛ばしていたら、読者は「ふーん」で終わっていたはずです。この場面が効くのは、飛ばされたのがヤムチャだからです。

読者は知っています。ヤムチャは強い。悟空を追い詰めた男だ。だからこそ、そのヤムチャが手も足も出ないという事実が、ジャッキー・チュンの底の見えなさを、一切の説明なしに叩き込んでくるのです。
強さを数値で語らず、読者がすでに知っているキャラクターを「物差し」として消費することで、新戦力の格を一瞬で立ち上げる──この手法は、後の『ドラゴンボール』が繰り返し使う十八番になります。ラディッツの登場然り、ベジータ・ナッパ然り、フリーザ然り。「あの強かったピッコロが」「あのベジータが」という驚きの構造は、すべてこの第2試合の変奏だと言ってもいいでしょう。

第21回天下一武道会は「悟空の修行の成果を見せる場」であると同時に、鳥山先生がバトル漫画の文法を発明していく実験室でもあった。そう考えると、この地味な16ページの重みが違って見えてきます。

まとめ

  • 第37話「第2試合」は、ヤムチャ vs ジャッキー・チュン(変装した亀仙人)の一戦
  • ヤムチャは狼牙風風拳すら当てられず、片手の風圧で場外へ吹き飛ばされて敗北
  • 亀仙人がかめはめ波を使わなかったのは、正体を隠したまま格の差を示すための最適解だった
  • 「既知の強者を物差しにして新キャラの格を立てる」という、後の『ドラゴンボール』の必勝パターンがここで確立された
  • ヤムチャの「かませ犬」イメージの起点であると同時に、彼の不運(2大会連続で優勝者と1回戦)を擁護する材料でもある

次回、其之三十八「第3試合」では、ナムとランファンが激突します。色仕掛けという、天下一武道会史上もっとも異色の戦法が飛び出す一戦。そしてこの試合の観戦中に、ヤムチャがある「疑惑」を抱くことになるのですが──それはまた次回に。

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