前話の其之二十八「修行のはじまり!!」で、悟空とクリリンはついに亀仙人のもとで本格的な修行をスタートさせました。
舞台はカメハウスのある小さな島から、住人が300人ほど暮らす大きめの島へとお引っ越し。ホイポイカプセルのおかげで一晩にして生活拠点を丸ごと移してしまうあたり、相変わらずこの世界はスケールが大胆ですね。
ランチはというと、早々に修行への参加を辞退して食事係に専念することになりました。本来はブルマがいなくなった穴を埋めるお色気要員として登場したキャラクターですが、結局この修行編でも戦いの本筋にはほとんど絡まず、もっぱら台所担当として収まっていきます。
そして、その「料理担当」という立ち位置が、今回のオチに見事に効いてくることになるのです。
そんな修行初日のメニューとして亀仙人が用意したのが、今回のサブタイトルにもなっている「亀マークの石さがし」でした。
其之二十九のあらすじ
亀仙人は足元に落ちていた何の変哲もない石をひょいと拾い上げると、持っていたマーカーペンで「亀」の一文字を書き込みます。そしてそれを森の奥へと無造作に放り投げ、「この石を探し出して先に持ち帰ったほうが勝ち。負けたほうは晩飯抜きじゃ」というルールを言い渡しました。

ただの石ころ探しに見えますが、亀仙人いわく、物を探すという行為は単純なようでいて、相応の精神力と集中力を必要とするとのこと。おまけに今回は崖を降りて森に分け入らなければならず、体力も問われます。制限時間は30分。時間内に見つければ晩飯にありつけ、過ぎれば抜き。修行初日にしていきなり、悟空とクリリンは自分たちの「今の限界」と向き合わされることになります。
ここで早速、クリリンが持ち前の悪知恵を働かせます。本物を探すのは面倒だと踏んだ彼は、その辺に落ちていた似たような石を拾い、近所の住人にペンを借りて自分で「亀」と書き込み、何食わぬ顔で亀仙人のもとへ持っていったのです。当然ながら、その小細工は秒で見抜かれて突き返されてしまいます。

一方、山育ちで野生の勘が冴えわたる悟空は、なんと匂いを頼りに本物の石を嗅ぎ当ててしまいます。レーダーも道具もなしに嗅覚だけで石を探し出すあたり、改めて悟空の人間離れした感覚が際立つ場面ですね。
ところが、ここからがクリリンの真骨頂です。彼は「その石が本物かどうか確かめてやる」とでも言わんばかりに悟空に近づき、隙を突いて石を奪い取ると、一目散に逃げ出します。
すぐに悟空に追いつかれて一度は叩きのめされるのですが、今度は偽物の石を放り投げて悟空の注意をそらし、そのスキにまんまと本物を持って亀仙人のもとへ一番乗り。見事に晩飯の権利を勝ち取ってしまいました。本来は自力で石を見つけ出した悟空のほうが、まんまと出し抜かれて晩飯抜きという理不尽な結末です。

しかし、物語はここで終わりません。クリリンが勝ち取った晩餐の主役は、ランチが市場で買ってきたフグでした。
料理の腕はそこそこのランチですが、フグの毒抜きに関する知識まではなかったようで、毒の処理をしないまま調理してしまいます。その結果、フグを口にしたクリリンは亀仙人ともども毒にあたり、3日間も寝込むハメに。ズルをして手に入れた晩飯が、皮肉にも自分を苦しめる結果になったわけですね。

なお、テトロドトキシンの致死量はごくわずかであるにもかかわらず、全員が後遺症もなくケロッと回復しているのは、彼らが頑丈なのか、それとも当時のドラゴンボールがまだギャグ漫画寄りの大らかな世界だったからなのか。おそらくは後者でしょう。
「クリリン」というキャラクター
この話の本当の見どころは、石さがしそのものよりも、クリリンというキャラクターの本質がくっきりと描き出された点にあると思います。
似た石を自作してバレる、本物を横取りする、偽物で相手を欺く――この一連の行動は、まさにクリリンというキャラクターの設計図そのものです。真正面からの勝負では悟空に到底かなわない。だからこそ、頭を使い、相手の隙を突き、トリッキーな手段で勝ちにいく。一見すると単なるズルい小者の振る舞いですが、この「ずる賢さ」は決して短所として描かれてはいません。
むしろこの資質は、後のクリリンの戦い方にしっかりと受け継がれていきます。気円斬のような相手の意表を突く搦め手、太陽拳を使った目くらまし、不利な状況での機転――純粋な戦闘力でインフレについていけなくなってからも、クリリンが「使える戦士」であり続けたのは、この第29話で芽生えた「知恵で勝つ」というスタンスがあったからこそでしょう。
悟空が「本能と才能の天才」なら、クリリンは「工夫と知恵の努力家」。二人の対比が、修行の初日にこれ以上ないほど鮮やかに提示されているのです。
亀仙流の修行は本当は何を鍛えていたのか
次に注目したいのが、亀仙人の修行哲学です。「亀マークの石さがし」は、表面的にはただの宝探しゲームに見えますが、亀仙人が弟子に身につけさせようとしていたものは、もっと根本的な力だったように思えます。
注目すべきは、亀仙人が「探し方」を一切指定していない点です。
悟空は嗅覚という野生の感覚を使い、クリリンは知恵と駆け引きを使いました。アプローチはまったく正反対ですが、亀仙人はそのどちらにも具体的な指示を出していません。手取り足取り教えるのではなく、課題と「勝てば飯、負ければ抜き」という強烈な動機づけだけを与え、あとは弟子自身に考えさせ、工夫させる。これは亀仙流の修行全体を貫く方針でもあります。
この後に続く牛乳配達や畑の開墾、工事の手伝いといった一連のメニューも同じ思想で組まれています。亀仙人は「修行している時間」ではなく、むしろ「修行だと意識していない時間」をいかに鍛錬に変えるかを設計している。
石さがしも、晩飯という生活に直結した報酬を賭けることで、弟子の集中力と本気を自然に引き出す仕掛けになっているわけです。世界最強と謳われた武天老師が、ただのスケベじいさんではなく「教えの達人」でもあったことが、この何気ない一話からうかがえます。
心を読めるはずの亀仙人は、なぜクリリンのズルを見逃したのか
後の天下一武道会のナムとの闘いの後で判明することですが、亀仙人は相手の思考を読めるほどの達人です。しかし、その亀仙人がなぜクリリンのあからさまなズルを見逃して晩飯を与えたのか、という疑問です。
これについては、いくつかの解釈ができます。まず単純に、亀仙人ほどの達人がクリリンの小細工に気づかないとは考えにくい。おそらく亀仙人はすべてを見抜いたうえで、あえて黙認したのでしょう。
なぜなら、石さがしの真の目的が「正直に探すこと」ではなく「あらゆる手段を使ってでも目的を達成すること」だったとすれば、相手の隙を突いて勝利をもぎ取ったクリリンの行動は、武道家としてむしろ評価に値するからです。
戦いの場で「卑怯」と「機転」は紙一重。亀仙人がそれをわかったうえで泳がせていたと考えると、彼の懐の深さが見えてきます。
そしてもう一つ、見逃せないのが「気」という概念の存在です。
後のドラゴンボールでは、相手の気を察知して位置や強さを読み取る能力が当たり前のように登場し、物語の根幹を支える要素になっていきます。
亀仙人がこの初期段階から相手の気配を感じ取れる達人として描かれていたのだとすれば、この石さがしは「気を感じる力」がドラゴンボール世界にさりげなく顔を出していた、ごく初期のエピソードのひとつとも読めるのです。バトル漫画としての伏線が、こんなギャグ寄りの一話にひっそりと埋め込まれていたと考えると、なかなか味わい深いですね。
フグオチに見る初期ドラゴンボールの空気感
最後に、このエピソードを締めくくるフグのオチについて。
ズルをして晩飯を勝ち取ったクリリンが、その晩飯の毒で寝込むという展開は、いかにも初期ドラゴンボールらしい因果応報のギャグです。悪知恵が裏目に出るというオチは、読者にスカッとした後味を残しつつ、クリリンがあくまで憎めないキャラクターであることを担保しています。シリアスなバトル漫画になっていく前の、肩の力が抜けた頃ならではの軽妙さですね。
ちなみに、このフグのくだりは原作ではナレーションでさらっと処理されているのですが、アニメ版(アニメでは第16話「修業・石さがし」として映像化)では、実際に毒にあたって苦しむ場面までしっかり描かれています。原作とアニメで描写の比重が異なるのは、この時期のドラゴンボールではよくあることで、見比べてみると新たな発見があるかもしれません。
それにしても、毒抜きもされていないフグを警告もなく売っている島の市場というのも、なかなかおおらかな話です。免許や安全基準といった概念がまるごとゆるい、初期ドラゴンボールならではの牧歌的な世界観が、こんなところからも伝わってきますね。
まとめ
「亀マークの石さがし」は、一見するとただの修行ギャグ回ですが、改めて読み返すと、クリリンというキャラクターの核がここで形作られ、亀仙流の「教えずに育てる」修行哲学が示されている、意外なほど密度の濃い一話です。
派手な戦いがあるわけではありません。
けれど、悟空が武道家として歩み出すこの修行編こそ、後のすべての戦いの原点。何気ない石ころ一つに、ドラゴンボールという物語のこれからが詰まっている――そう思いながら読むと、この一話の見え方も少し変わってくるのではないでしょうか。


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