数あるスーパーサイヤ人の変身形態の中でも特に異彩を放っているスーパーサイヤ人3ですが、その強さに関して長らく議論になっていることがあります。
それは、スーパーサイヤ人3の悟空は魔人ブウの初対戦の時に最後まで戦っていたら、本当に勝つことができたのか?ということです。
本記事では、このテーマについて掘り下げていきたいと思います。
悟空の発言の矛盾
スーパーサイヤ人3の悟空は魔人ブウを倒すことができたのでは?ということについて、ピッコロに問いかけられた悟空は次のように発言しています。
断定はしていないものの「勝つのはムリ」と珍しく弱気な返答をしています。
「悟空らしくない」と同じように思ったのかピッコロも「エネルギーの関係」で途中で闘うのをあきらめたのか?という質問をします。
しかし、悟空はそうではない。自分は本当はもうこの世に存在していないのだから、今後のことを考えたら若い世代になんとかして欲しかったからだと答えます。
ところが、ブウとの最終戦の直前にベジータに対して悟空は、本当はスーパーサイヤ人3で魔人ブウを倒すことができていたと言っているのです。
倒さなかった理由は「若いやつらになんとかして欲しかった」からと、以前と変わってはいません。
しかし、ピッコロに対しては「勝つのはムリ」だったと言っておきながら、後になって「本当は倒せていた」というのは、ちょっとカッコ悪いと感じてしまう人も多かったのではないでしょうか?
魔人ブウを倒さなかった悟空の真意は?
この理由として、「若いやつらになんとかして欲しかった」からというのが本当だったとした場合、いくら後々のためとはいえ、それを理由に魔人ブウを倒さないというのはリスクが大きい行為です。
なぜなら、もし悟空が魔人ブウを倒さなかったことで結果的に地球がなくなってしまった場合、元も子もなくなってしまいます。
しかし魔人ブウを倒せてさえいれば、後に脅威が迫った場合でも、その時はその時でまた戦士が育つチャンスがあるわけです。
悟空もこれが分かっていたからこそ「やべえ賭け」と言ったのでしょう。
本当に魔人ブウを倒せていたのか?
では、なぜ悟空はそんな「やべえ賭け」をせざるを得なかったのでしょうか?
前述したように、いくらこれからの事を考えたとしてもリスクが大きい賭けだったと言わざるを得ません。
この後、ブウよりも強い敵が現れると決まっているわけでもないのに、倒せる敵を倒さないという選択肢をとるのはあまりにも不自然です。
つまり、悟空はこれからのことを考えたから、というピッコロへの説明以外の何かしらの理由があったのだと考えられます。
その理由として最も考えられるのは、やはりピッコロも言及していた時間の問題でしょう。
スーパーサイヤ人3は本来あの世でしか使ってはダメな技で、時間という概念があるこの世で使ってしまうと、エネルギーの消費が激しく一気に消耗してしまうとのこと。
死者である悟空にとっては、この世でいられる時間が減ってしまうという代償を伴うようです。
実際、悟空がこの世にいられる時間は本来であれば、まだ20時間近くはあったと思われるのにも関わらず、スーパーサイヤ人3に変身した後は、わずか30分程度にまで激減してしまっていました。
つまり、あの魔人ブウとのわずか数分の闘いの間にそれだけのエネルギーを消費してしまっていたという事になります。
ということは、仮にあのまま悟空が魔人ブウと闘い続けていたとしても、到底倒すことはできなかったはずですし、下手したらピッコロたちの元に帰れず、そのままあの世に逆戻りという可能性だってあったことになります。
むしろ、残りのエネルギーが30分だったことを考えると、後十数秒闘っていたらアウトだった可能性もあり、本当にギリギリのタイミングで闘いを終わらせたと言えるかもしれません。
もし時間切れをしてしまっていたら、当然、悟天とトランクスにフュージョンを教えることはできず、結果魔人ブウを倒すことはできません。
おそらく、あの時の悟空はあのまま魔人ブウと闘い続けた場合、倒しきれずに終わってしまうリスクと、悟天、トランクスに未来をたくすリスクを計算して、最終的に後者を選んだのでしょう。
なぜ、悟空はベジータに嘘をついたのか?
では、なぜ悟空はベジータに、あのまま闘い続けていたら魔人ブウを倒すことができたなどという嘘をついたのでしょうか?
おそらく、これは悟空のちょっとした自慢のようなものだったのでしょう。
現実的には時間切れで倒すことはできなかったものの、「もし時間という制約さえなければ」魔人ブウを倒せていたはずということを言いたかったのかもしれません。
誰よりも強い敵と闘うことに喜びを感じている悟空にとっては、途中で闘いをやめるというのは不本意なことなのは容易に想像できます。
そのくやしさが、悟空をして「ふとっちょの魔人ブウならスーパーサイヤ人3で倒せていたんだ」という強がりにも似た言葉を発せさせたのだと思われます。
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