ドラゴンボール 第31話のあらすじ考察「亀仙流の厳しい修行」

ストーリー
引用元 ドラゴンボール 集英社

前話「牛乳配達」で、悟空とクリリンは夜明け前から牛乳を配って走り回るという、想像を絶するランニングを体験しました。読者の多くは「いやいや、いくらなんでも牛乳配達が修行って」と笑いながらページをめくったはずです。

ところが本話「亀仙流の厳しい修行」を読むと、その牛乳配達がじつは一日のメニューのほんの序章にすぎなかったことを思い知らされます。今回は、ドラゴンボールという作品の根っこにある「強さとは何か」というテーマが、もっとも素朴な形で立ち上がってくる一話を、じっくり考察していきます。

其之三十一のあらすじ

朝の牛乳配達を終えた悟空とクリリンを待っていたのは、亀仙人が綿密に組み立てた、みっちりと詰まった一日の修行メニューでした。

亀仙人いわく牛乳配達は「早朝の修業」でしかないとのこと。次に取り組むのは「朝の修業」ということで、畑仕事をすることになります。
ですが、畑仕事と言っても、なんとクワを使わず素手で固い土を耕し、広い畑を黙々と整えていかないといけません。続いては工事現場でのアルバイト。屈強な大人たちに混じって、肉体労働に汗を流します。

引用元 ドラゴンボール 集英社

昼食後、意外な修行メニューが登場します。机に向かっての「勉強」です。亀仙人いわく、本物の武道家になるには立派な身体だけでは足りず、頭も修業をしないといけないとのこと。そして勉強のあとには、しっかりと昼寝(休息)の時間までもが組み込まれています。

午後になると、修行はふたたび身体を張ったものへと戻ります。サメが泳ぐ湖での水泳。文字どおり、命がけで岸を目指すことになります。仕上げは、木に縛りつけられた状態で、飛んでくるハチの攻撃をひたすらかわし続けるという、反射神経を極限まで磨く修行です。

注目したいのは、これらが一度きりの特別メニューではなく、来る日も来る日もくりかえされる「日課」として描かれている点です。前話の牛乳配達を「これはきつい」と思った読者の予想を、本話はさらに上回ってきます。
朝から晩まで、身体を動かし、頭を使い、休息をとり、また身体を張る。その一連の流れを、明日からは20kgの亀の甲羅を背負ったまま延々と回し続けないといけないのです。

これらすべてを、毎日くりかえす――。「亀仙流の修行」が”厳しい”と称される理由が、これでもかと描き込まれる一話となっています。

「よく動き、よく学び、よく遊び、よく食べて、よく休む」――亀仙流の修業哲学

この一話の白眉は、休息のさなかに亀仙人がみずから語る「よく動き よく学び よく遊び よく食べて よく休む これが亀仙流の修行じゃ」という言葉に尽きます。修行回でありながら、その極意がアクションではなく、師の何気ない一言として提示されるところに、この回の妙味があります。

引用元 ドラゴンボール 集英社

少年漫画の修行といえば、滝に打たれたり、岩を割ったり、ひたすら走り込んだりと、肉体を痛めつける描写になりがちです。ところが亀仙人は、強い武道家には「立派な頭脳」が必要だと説いて机に向かわせ、午後のパフォーマンスを上げるためには休息こそ重要だとして昼寝の時間まで確保します。さらに「遊び」までもが、堂々と修行の構成要素として並べられているのです。

つまり亀仙流の修行とは、筋肉だけを鍛えるものではなく、動・学・遊・食・休のすべてをひとつのサイクルとして設計した、きわめて総合的な人生観・身体観に立っています。これは「ただ気合と根性で身体をいじめれば強くなる」という当時の常套句への、ある種の批評にもなっていると言えるでしょう。

のちのち、悟空が戦闘のさなかに見せる思いがけない機転や、状況を一瞬で読む判断力、そして「無理に鍛えるだけが修行ではない」という後年の悟空自身の指導観。そのすべての下地が、この亀仙人の五か条にあったと考えると、なかなか味わい深いものがあります。

20kgの甲羅という”地味な常時負荷”の発明

本話を貫いているもうひとつの仕掛けが、本話の最後に翌日の修業時から二人が背負うことを義務付けられることになる20kgの亀の甲羅です。
注目したいのは、これが「特定の特訓のための重り」ではなく、一日の生活すべてに常時のしかかる負荷だという点です。畑を耕すときも、工事をするときも、勉強や昼寝のあいだですら、甲羅は外されません。派手な必殺特訓ではなく、生活の地盤そのものを重くしてしまう――この発想が実におそろしい。

引用元 ドラゴンボール 集英社

そしてこの「日常に重りを足す」という思想は、ドラゴンボールという作品のなかで脈々と受け継がれていくことになります。ずっしりと重い道着、何倍もの負荷をかける環境での鍛錬といった、後年おなじみとなる”重さで鍛える”系の修行。その源流が、まさにこの亀の甲羅にあるわけです。

地味で、しかし逃げ場がない。亀仙流の厳しさの本質は、こうした「日常の重さ」にこそ宿っていると言えそうです。

「労働=修行」という発想の妙

牛乳配達、畑仕事、工事現場でのアルバイト。あらためて並べてみると、亀仙人が課す修行の多くが「労働」であることに気づきます。

ここがじつにうまいところです。普通であれば、修行と労働は別物として描かれます。ところが亀仙人は、生活に必要な営みそのものを鍛錬に変えてしまう。汗を流せば身体は鍛えられ、おまけに畑は耕され、工事は進み、いくらかのお金まで手に入る。修行と生活が、きれいに地続きになっているのです。

これは、亀仙人という人物の指導者としての合理性をよく表しています。普段はスケベで飄々とした老人として描かれる亀仙人ですが、こと弟子の育て方に関しては、無駄のない、しかも理にかなったプログラムを組み立てています。のちに彼が「武天老師」と呼ばれた達人であることを思えば、この一見ふざけた修行メニューの一つひとつが、じつは計算ずくであることが見えてきます。

「強くなりたいなら、まずまっとうに生きて働け」。亀仙流の修行からは、そんな素朴で力強いメッセージすら読み取れるのではないでしょうか。

そしてこの時期の悟空にとって、亀仙人は単なる武術の師匠にとどまらない存在になっていきます。育ての親である孫悟飯と別れたあと、寝食をともにしながら生き方そのものを教えてくれる――いわば”第二の育ての親”とも呼べる役割を、亀仙人はこの修行を通じて担っていくのです。厳しくも面倒見のよいこの老人のもとで過ごした日々が、悟空の朗らかでまっすぐな人格に与えた影響は、決して小さくないはずです。

なぜ亀仙人は「拳法」を教えないのか――技より基礎という思想

労働に業を煮やした悟空が「拳法を教えてくれ」と迫り、亀仙人が「この岩を動かせるようになったら」と返した際のやり取りも印象的です。

引用元 ドラゴンボール 集英社

注目すべきは、亀仙人がこの修行編を通じて、結局のところ具体的な技をほとんど教えないという事実です。
畑も工事も牛乳配達も、すべては技を成立させるための土台、すなわち身体そのものを作る作業に費やされます。岩のくだりは、その思想を一枚の絵で言い切った象徴と言えるでしょう。動かせない岩を前にした悟空の姿は、「今のお前にはまだ技を語る資格がない、まず力をつけろ」という無言のメッセージそのものです。
といいつつも、悟空はこの時点で亀仙人よりも、岩を大きく動かしてしまうのですが。笑

それはさておき、この「技より基礎」の発想は、のちの展開とも響き合います。
悟空もクリリンも、亀仙人から手取り足取り技を授かるのではなく、最終的には師の戦いを見て自分のものとして盗み取っていきます。基礎さえ徹底的に作り込んでおけば、技はあとから自分でつかみ取れる――亀仙人は、そこまで見据えて”あえて教えない”という選択をしているのです。
一見すると意地の悪い岩の課題が、じつは弟子の伸びしろを最大化する深謀だったと考えると、この老人の指導者としての凄みがいっそう際立ちます。

なぜ「サメ」と「ハチ」なのか

午後の修行、すなわちサメのいる湖での水泳と、ハチの攻撃をかわす反射神経の修行。この二つには、午前中の労働系メニューとは少し違う狙いが込められているように見えます。

両者に共通しているのは、「命の危険を伴う緊張感」です。サメから逃げる水泳は、ただ泳力を鍛えるだけでなく、追い詰められた状況での集中力を養います。ハチをかわす修行も同様で、小さく素早い対象を相手に、全身の反射神経を研ぎ澄ますことが目的でしょう。

筋力や持久力は、労働でも鍛えられます。しかし、戦いの場面で本当にものを言う「危機を察知して回避する力」は、安全な環境ではなかなか身につきません。だからこそ亀仙人は、あえて命がけの状況を用意したのだと考えられます。

実戦では、強い一撃を放つこと以上に、相手の攻撃をかわし続けられるかどうかが生死を分けます。亀仙流の修行が、攻撃の特訓だけでなく回避の修行を重視している点は、この流派の戦闘哲学を考えるうえでも見逃せないポイントです。

悟空とクリリン――同じ甲羅を背負った二人

本話で忘れてはならないのが、この厳しい修行を悟空とクリリンが「二人そろって」こなしているという事実です。

悟空はもともと底なしの体力と素質を持った少年であり、過酷なメニューもどこか楽しげにこなしていきます。一方のクリリンは、ごく普通の人間として修行に食らいついていく立場です。同じ甲羅を背負い、同じ畑を耕し、同じ湖でサメに追われながらも、二人の置かれた条件はまったく違います。

それでもクリリンが脱落せずに食らいついていく姿には、のちに彼が地球人最強クラス”戦士へと成長していく片鱗が、すでにのぞいています。そして何より、この苦楽をともにした日々こそが、二人を生涯の親友へと結びつけていく出発点になりました。ライバルとして登場したクリリンが、いつのまにか最高の相棒になっている――その変化の土台が、この地道な共同生活のなかで静かに育まれているのです。

タイプの異なる二人を同じ修行に放り込むことで、悟空の規格外ぶりと、クリリンの粘り強さ。その両方が自然と引き立つ構成になっている点も、見逃せない工夫だと思います。


「修行を漫画で描く」という難題

最後に、少しメタな視点からこの一話を眺めてみましょう。
そもそも「修行」というものは、成果が出るまで一定期間、同じことを根気強くくりかえす営みです。これを漫画で正直に描こうとすると、どうしても「似たような絵が延々と続く」ことになりかねません。変化に乏しい反復描写は、読者を退屈させてしまう危険があります。

ところが本話は、その難題を巧みに回避しています。配達、畑、工事、勉強、昼寝、水泳、ハチよけ――と、修行のメニューそのものを次々に切り替えることで、「反復」という地味なテーマに、コマごとの新鮮さと緊張感を持たせているのです。同じ「鍛える」でも、舞台と動きが変われば、絵としての見え方はまったく違ってきます。

つまりこの一話は、「厳しい修行を、いかに飽きさせずに見せるか」という作劇上のハードルを、メニューの多彩さそのもので乗り越えた一話でもあります。地味なはずの修行回が、読み返すたびに妙にワクワクしてしまうのは、こうした構成の妙が効いているからにほかなりません。


「亀仙流の厳しい修行」は、爽快な戦闘シーンこそないものの、ドラゴンボールが描こうとした「努力と成長の物語」の原点とも言える一話です。

牛乳配達に始まり、畑仕事、工事、勉強、昼寝、水泳、ハチよけ。そのどれもが、20kgの甲羅とともにこなされる過酷な日課でありながら、同時にどこかユーモラスで、読んでいて思わずワクワクさせられます。
「こんな修行、毎日やったら本当に強くなれそうだ」と、多くの読者に思わせてしまうところに、亀仙人という指導者の魅力と、鳥山明先生の構成の妙が詰まっています。

この地道な日々の先に待っているのは、世界一の武道家を決める大舞台。悟空とクリリンが流した汗が、やがてどんな成果となって花開くのか。次回以降の展開を、ぜひ本作とともに見届けていきましょう。

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