ドラゴンボール 第41話のあらすじ考察「クリリン対ジャッキー・チュン」

ストーリー
引用元 ドラゴンボール 集英社

前回の其之四十「悟空のシッポ」では、グルグルガムに全身を固められ絶体絶命だった悟空が、生えかけていたシッポの再生とともにパワーを取り戻し、ギランを降参に追い込みました。これで第21回天下一武道会・本選1回戦の全4試合が終了。残ったのは、ジャッキー・チュン、ナム、孫悟空、そしてクリリンの4人です。

今回取り上げる其之四十一「クリリン対ジャッキー・チュン」は、いよいよ準決勝の幕が上がる一話です。ただ、この回の面白さは試合の中身そのものよりも、その手前に置かれた「インタビュー」のパートに詰まっています。ここで読者は、悟空という主人公についての重要な事実と、亀仙人が背負っている看板の大きさを、まとめて知ることになるからです。

あらすじ①:インターバルのインタビューと、マイクを知らない少年

1回戦が終わり、準決勝までのインターバル。アナウンサーは勝ち残った選手のうち、まだ幼さの残る二人――悟空とクリリンにマイクを向けます。
ところが悟空は、目の前に差し出されたマイクが何なのかがわかりません。食べ物か何かだと思ったような反応を返し、「それはマイクだ、声を大きくする機械だ」と教えられる始末です。

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亀仙人のもとで8か月間、修行と並行して一般常識も叩き込まれてきたはずの悟空ですが、山奥育ちのズレはまだまだ抜けきっていません。物語の冒頭でブルマに出会ったころから、悟空の「世間知らず」は一貫したギャグの軸でした。天下一武道会という大舞台の真ん中で、あえてその軸をもう一度鳴らしてみせるあたりが実に鳥山明的です。

あらすじ②:悟空、まさかの「12歳」申告

続いて話題は年齢に移ります。クリリンの年齢が紹介されたあと、悟空が口にしたのは「12歳」という数字でした。
これに待ったがかかります。悟空は以前、自分は14歳だと名乗っていたはずだからです。しかし悟空はけろりとした顔で、要するに数の数え方をよくわかっていなかった、11の次は12だった、と説明します。つまり悟空は、自分の年齢を自分で数え間違えていたのです。

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さらに、年上であるはずのクリリンとの体格の話にまで飛び火し、インタビューはすっかり漫才の様相になっていきます。観客席は笑いに包まれ、直前まで続いていた真剣勝負の緊張が、いったんきれいにほぐされました。

あらすじ③:「武天老師の弟子です」――場内騒然

和んだところで、アナウンサーは本題に切り込みます。この少年二人は、なぜこれほど強いのか。その強さの秘密は何なのか。
そしてクリリンの口から、あの名前が出ます。武天老師。二人は武天老師の弟子であり、亀仙流の門下生である、と。

この瞬間、会場の空気が変わります。武道の世界において武天老師は、いわば「武術の神様」として語り継がれてきた伝説的な存在です。名前は知られていても、実在するのか、生きているのかすら定かではない。そんな人物の弟子が、目の前で二人も勝ち残っている――観客がざわめかないほうがどうかしています。

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さらにアナウンサーの「まだ生きておられたんですね」という一言が、思わぬところに刺さります。会場の隅で、ジャッキー・チュンがむっとした表情を浮かべるのです。

やがて疑いの目は当然のようにこの老人に向かいます。あなたこそが武天老師なのではないか、と。しかしジャッキーの答えは、そっけないものでした。わしはジャッキー・チュンじゃよ――それだけです。

あらすじ④:歌って踊るジャッキー・チュン

そのままインタビューはジャッキーに渡されます。ここで彼が取った行動が、この回いちばんの珍事でした。真面目に受け答えをするどころか、突然、歌い出すのです。
しかも歌詞の内容は、女の子だの村祭りだの盆踊りだのという、まったく脈絡のない代物。踊りまで添えて熱唱するジャッキーに、会場は完全に置いていかれます。ところがただ一人、悟空だけが一緒になって踊り出し、最後には二人で握手まで交わす。周囲は茫然自失です。

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こうしてマイクはアナウンサーの手に戻り、気を取り直して本選第5試合、すなわち準決勝第1試合、クリリン対ジャッキー・チュンが始まりました。

あらすじ⑤:触れられない――クリリンの善戦と、見えない一撃

試合が始まると、クリリンの動きは想像以上でした。8か月の亀仙流修行は伊達ではなく、そのスピードと踏み込みは並の武道家のものではありません。ジャッキーも「やるのう」と、素直に感心してみせます。
しかし――当たらないのです。クリリンが繰り出す攻撃を、ジャッキーはことごとくかわしきります。ついには右のパンチを、片手であっさりと受け止めてしまう。全力の一撃が、掌の上で止められる。

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そしてジャッキーがほんの少しだけ本気を出した瞬間、クリリンは吹き飛ばされます。何をされたのかもわからない。パンチがまったく見えなかった――呆然とするクリリンを残して、その回は幕を閉じます。

なぜここで「間」を置いたのか

構成という視点で見ると、この回の前半は非常に贅沢です。1回戦4試合を怒涛の勢いで描き切った直後、準決勝に入る前にまるまる一つ、笑いのパートが挿入されているのですから。

しかしこれは、単なる箸休めではありません。トーナメント漫画は放っておくと試合の連続になり、読者は疲れます。ここで一度キャラクターの素の顔を見せ、笑わせ、緊張を落としきってから、準決勝という一段上のステージに上げる。この呼吸が、天下一武道会編を最後まで飽きさせない大きな理由になっています。

そして重要なのは、この「間」が同時に情報開示の場にもなっている点です。悟空の年齢、亀仙流という看板、武天老師の伝説的な地位。物語を動かす材料が、ギャグの合間にさらりと置かれています。

「12歳」という訂正が持つ重み

悟空が自分の年齢を訂正するこの場面は、笑い話として処理されがちですが、実はかなり大きな意味を持っています。

まず、キャラクター造形として完璧です。悟空は文字も数もろくに知らないまま山で育った少年であり、自分の年齢すら正確に把握していない。この一点だけで、彼のこれまでの人生の輪郭が読者に伝わってしまいます。誰かに年齢を祝ってもらった経験がなければ、数える必要もなかったわけです。

そして物語の外側の話としては、これは連載初期に置かれた設定を、作者が回収し直した瞬間でもあります。悟空が「14歳」と名乗っていたことと、この「12歳」という申告。矛盾を矛盾のまま放置せず、「悟空だから数え間違えていた」というキャラクター固有の理由で辻褄を合わせる。この処理があったからこそ、後年に整理された年表においても、この時点の悟空の年齢を確定させることができました。何気ないギャグが、シリーズ全体の時系列の土台になっているわけです。

「武天老師」というブランドが可視化される

この回でもっとも見逃せないのが、武天老師という存在の「格」が、初めて第三者の反応によって描かれたことです。
読者はこれまで、亀仙人をスケベで飄々とした老人として見てきました。かめはめ波で月を消す力を持ちながら、エロ本を読み、若い女性に鼻の下を伸ばす人物です。しかし観客たちの反応が示すのは、まったく別の像です。武術界において武天老師は、名前を出しただけで会場がどよめくほどの伝説なのです。

この落差の提示が、実に効いています。読者だけが「あの老人がジャッキー・チュンだ」と薄々気づいている。そして観客は「武天老師の弟子がいる」と騒いでいる。同じ会場にいるのに、見えているものが違う。このねじれた構造こそが、天下一武道会編の後半をずっと支えるサスペンスになっていきます。

そのうえで、アナウンサーの「まだ生きておられたんですね」という一言にジャッキーがむっとする描写が挟まる。正体を隠しきろうとしているはずの人物が、こういうところで人間味を漏らしてしまう。この漏れの積み重ねが、後々の展開への布石になっていきます。

歌と踊りは韜晦か、それとも素か

ジャッキーの突然の熱唱は、二通りに読めます。
ひとつは、韜晦としての読み方です。真面目に受け答えをすればするほど、声色や物言いから正体がばれるリスクが高まる。ならばいっそ、まともな会話が成立しない変人として振る舞ってしまえばいい。実際この一曲で、会場の関心は「彼は武天老師か」から「この人は何なんだ」へと完全にすり替わりました。

もうひとつは、これこそが素だという読み方です。亀仙人は普段からテレビを眺め、下品な歌を口ずさんでいてもおかしくない人物です。変装で顔と髪型は変えられても、中身までは変えられなかった、という見方もできます。

そして個人的に面白いと思うのは、悟空が一緒に踊れてしまったことです。師匠の家で日々流れていたものを、悟空も自然と覚えていたのだとすれば――正体を隠すための行動が、いちばん正体に近い証拠になっていたことになります。もっとも、悟空がそれに気づく気配はまるでありませんが。

クリリンの「善戦」が意味するもの

試合そのものに目を向けると、ここで描かれたクリリンの姿は、亀仙流修行の成果を測るための重要な物差しになっています。

思い出したいのは其之三十七、ヤムチャ対ジャッキー・チュンです。狼牙風風拳を放ったヤムチャは、ほとんど何もできないまま場外へ運び出されました。それに比べれば、クリリンは食らいついています。当たらないとはいえ、ジャッキーに片手を使わせ、「やるのう」と言わせるところまでは持っていった。

つまりこの一戦は、クリリンの敗北を描く試合であると同時に、クリリンが到達した高さを公式に認定する試合でもあるのです。8か月前、亀仙人のもとに現れたころのクリリンとは、もはや別人と言っていいでしょう。

同時にこの試合は、構造としては「師弟対決」です。クリリンは自分が誰と戦っているのかを知らず、ジャッキーのほうは相手が誰かを完全に把握している。しかも彼が使う技は、クリリンが習ってきた亀仙流そのものです。手の内を全部知っている師匠と、相手のことを何も知らない弟子。これほど不公平な対戦カードもそうありません。

そもそも、なぜ亀仙人はわざわざ変装してまで大会に出場したのか。その答えはこの時点ではまだ伏せられており、後の展開を待つことになります。ただ、ここでのジャッキーの戦い方――勝ちを急がず、受け止め、測るような立ち回り――を見ていると、彼の目的が単純な優勝ではないことは、うっすらと伝わってきます。片手でパンチを受け止める行為は、格闘としては挑発ですが、指導としては「今のおまえの拳はここまでだ」という答え合わせなのです。

「見えない」という強さの表現

そして最後の一撃。クリリンは、自分が何をされたのか理解できませんでした。
初期のドラゴンボールにおいて、実力差はしばしば「見えるかどうか」で表現されます。速すぎて見えない。だから防げない。だから何が起きたかわからない。この単純明快な物差しは、読者にも直感的に伝わります。

この表現は、このあとの展開でさらに洗練されていきます。準決勝第2試合で悟空が見せることになる残像拳も、突き詰めれば「目に映るものが真実とは限らない」という同じ土俵の上にあります。第21回天下一武道会は、殴り合いの強弱を描く大会であると同時に、「知覚の限界」を描く大会でもあったのだと、この回のラスト一撃は教えてくれます。

まとめ

其之四十一「クリリン対ジャッキー・チュン」は、笑いの回であり、情報開示の回であり、そして準決勝の号砲を鳴らす回でした。

マイクを知らない悟空。数え間違えていた12年。名前だけで会場をどよめかせる武天老師という看板。歌って踊る謎の老人。そして、見えないパンチ。てんでばらばらに見える要素が、すべて「この大会の格が一段上がった」という一点に収束していきます。

次回、其之四十二「大攻防戦!」。倒れたクリリンは、ここから何を仕掛けるのか。師匠と弟子の攻防は、誰も予想しない決着へと転がっていきます。

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