前回の其之三十九「第4試合」は、悟空がギランのグルグルガムに全身をからめ取られ、指一本動かせなくなったところで幕を閉じました。
翼で空を飛べるギランに場外負けはなく、対する悟空は身動きが取れない——第21回天下一武道会の一回戦で、悟空はこの大会最初の絶体絶命に追い込まれたわけです。
そして続く其之四十。タイトルはずばり「悟空のシッポ」。
週刊少年ジャンプ1985年40号に掲載され、カラーページ付き・掲載順2位という好待遇で読者に届けられた一話です。タイトルの時点で救いの手がどこから来るかは明かされているのですが、それでもこの回が名場面として語り継がれているのは、たった数コマの出来事が、このあと物語をとんでもない方向へ動かしてしまうからです。
今回はこの其之四十のあらすじを整理したうえで、「筋斗雲は道具なのか」「なぜシッポで悟空は強くなるのか」「この一戦が何の伏線になっていたのか」という三点を中心に考察していきます。
第40話「悟空のシッポ」のあらすじ
グルグルガムで固められた悟空は、もはや置物同然です。ギランはその悟空を軽々と持ち上げ、そのまま武舞台の外へと放り投げてしまいます。天下一武道会は場外に落ちれば負け。誰もが決着を確信した瞬間でした。

しかし悟空は空中で筋斗雲を呼びます。叫び声に応えるように現れた筋斗雲は悟空を受け止め、そのまま武舞台へと送り届けました。場外負けは成立せず、試合続行です。
当然、ギランは黙っていません。道具を使うのは反則ではないのかと審判に猛抗議します。この抗議を受けた裁定は、今回はセーフとするが、次に筋斗雲を使ったら反則負けとする、というものでした。悟空は逃げ道を一本失い、ギランは再び優位に立ちます。
動けない悟空をギランが、再度場外へと殴り飛ばそうと拳を振り上げます。

その瞬間でした。悟空のシッポが再生します。生えたばかりのシッポは即座にギランの腕に巻きつき、動きを止めました。本来の調子を取り戻した悟空は、あれほど破れなかったグルグルガムを、今度は自分の力だけで引きちぎってしまいます。
粉々になったガムと、目の前の少年の怪力。それを見たギランはあっさりと戦意を失い、降参を宣言しました。悟空の一回戦突破が決まり、準決勝進出です。
筋斗雲は「道具」なのか
この回で最も面白いのは、実は殴り合いではなくルール論争のほうだと思っています。天下一武道会のルールはシンプルで、相手を場外に出すか戦闘不能にすれば勝ち、武器の使用と殺傷行為は禁止、というものです。ここに筋斗雲という存在は想定されていませんでした。
筋斗雲は亀仙人から譲り受けた乗り物で、心のきれいな者しか乗れないという特殊な性質を持っています。悟空の体の一部ではなく、明確に外部から与えられたものです。ギランの「道具じゃないのか」という主張には十分な理があります。

一方で悟空側にも理屈はあります。場外負けの判定は、武舞台の外側に触れて初めて成立するもの。空中に投げ出されただけの段階では、まだ負けは確定していません。落ちきる前に自力で戻れるなら問題ないはずだ、という解釈です。
そしてここが重要なのですが、ギラン自身は翼で飛べることを理由に「自分に場外負けはない」と豪語していました。つまり「自前の翼で飛ぶのはOK、借り物の雲で飛ぶのはNG」という線引きが、この論争の背後に横たわっているわけです。
裁定が「今回はセーフ、次はアウト」という玉虫色になったのは、審判もこの線引きを一刀両断できなかったからでしょう。武道会側は前例のない事態に、その場しのぎの妥協案を出すしかなかったのだと思われます。

面白いのは、この裁定が悟空にとって単なる警告で終わらなかったことです。以降、悟空はこの大会で筋斗雲に頼れなくなります。空を飛ぶ手段を封じられた状態で準決勝・決勝を戦い抜くことになるわけで、たった一度の抗議が、残りの試合の条件を丸ごと変えてしまったことになります。
ギランは負けはしましたが、ルール面では確実に一本取っていたのです。粗野な怪獣に見えて、自分の有利な条件を言語化して主張できる交渉上手でもある——この抗議シーンは、ギランというキャラクターの評価をひそかに底上げしていると思います。
グルグルガムは武器なのか
同じ論点は、実はギラン自身にも突き刺さっています。グルグルガムは口から吐き出すゼリー状の体液で、ギランはこれを「体内から出したものであって武器ではない」と主張しています。手にした棒や刃物とは違い、自分の体が生み出したものだから合法だ、という論法です。

この主張が通っている以上、ギランもまた「自前かどうか」という基準で戦っていることになります。そして皮肉なことに、彼はまさにその基準によって敗れます。悟空が最後に頼ったのは、借り物の筋斗雲ではなく、自分の体から生えてきたシッポだったからです。
外部の道具に頼れば反則を問われる。ならば自分の体で決着をつけろ——この回は、ルール論争という遠回りを経て、そういう答えにたどり着いているように読めます。
8ヶ月ぶりのシッポと、悟空の「本調子」
悟空のシッポが失われたのは、ピラフ城での一件でした。満月を見て大猿化した悟空を止めるため、ヤムチャの指示でプーアルがシッポを切断しています。
そこから亀仙流での修行期間を挟み、天下一武道会まではおよそ8ヶ月。この回でシッポは、徐々にではなく一瞬で生え戻ります。しかも生えた途端に悟空のパワーが跳ね上がり、破れなかったガムを引きちぎってしまう。

この時点の読者に与えられている情報は「シッポがあると悟空は調子がいい」という程度のもので、理屈は何も説明されていません。それでも十分に成立しているのは、シッポが単なるチャームポイントではなく力の源だったという発見そのものが驚きだったからでしょう。
そしてもうひとつ見逃せないのが、シッポの二面性です。この回では純粋に「力の源」として描かれていますが、シッポは同時に悟空最大の弱点でもあります。ピラフ城で大猿を止める手段としてシッポが狙われたのも、そこを断てば力が失われると知られていたからでした。掴まれれば力が抜け、あれば本調子になる。同じ器官が長所と急所を兼ねているというのは、キャラクター設計としてかなり贅沢な作りです。
この回で悟空はシッポを「巻きつける」という攻撃的な使い方をしていますが、それは弱点を自分から相手の腕に差し出す行為でもあります。無邪気にやってのけているところが少年悟空らしいところで、この危うさが後の展開に効いてくることになります。
興味深いのは、この「窮地で一瞬にして再生する」という現象が、後年ほぼ同じ形で繰り返される点です。孫悟飯もピッコロにシッポを抜かれたあと、ベジータ戦の最中に突然再生しています。命の危機に対する防衛反応のようにも見えますが、作中で明確な説明がされたことはありません。
なお鳥山明先生自身は、連載開始の時点では悟空が大猿になることもサイヤ人という宇宙人であることも全く考えていなかったと語り、後付けの辻褄合わせぶりに自分でも感心してしまうと述べています。つまりこの回のシッポは、まだ何の設定も背負っていない、ただの「悟空の変なところ」だったわけです。それが150話以上あとに宇宙規模の設定へと接続されていくのですから、結果論としてこれ以上ない伏線になってしまいました。
この一戦が、決勝戦の引き金になる
そしてこの話が本当に恐ろしいのは、ここで悟空にシッポが戻ってしまったという事実そのものです。
シッポが生えているということは、満月を見れば大猿になるということ。
案の定、其之五十一「天下一武道会大騒然!!」で、悟空は決勝戦の最中に月を目撃して大猿化し、会場を破壊する大惨事を引き起こします。これを止めるためにジャッキー・チュン、すなわち正体を隠した亀仙人が最大出力のかめはめ波を放ち、月そのものを吹き飛ばすことになります。
つまり其之四十の逆転劇は、読者にとっては痛快な大逆転であると同時に、地球から月が消えるという取り返しのつかない事件(実際には神様が月を元に戻したので、取り返しがついたのですが。)の第一歩でもありました。
観客席から、あるいは選手として悟空の試合を見ていた亀仙人にとって、あのシッポの再生は喜ばしいどころか最悪の知らせだったはずです。
ちなみにシッポは、この後すぐ戦闘の道具としても活躍します。ギランの腕に巻きつけた使い方は、ジャッキー・チュン相手に披露する「猿拳」——シッポで足を払い、相手を翻弄する戦法——に直結しています。第40話は、悟空の戦い方そのものを変えた回でもあるわけです。
ギランという敵役の潔さ
最後にギランについて。天下一武道会の試合が「降参」で終わるのは、シリーズを通してもかなり珍しい決着です。
故郷では名の知れた乱暴者で、悟空を場外に放り投げようとする程度には勝ちにこだわっていたギランですが、勝ち目がないと見た瞬間の引き際は驚くほど早い。編み物が趣味という設定もあり、乱暴なだけのキャラクターではありません。
このあっさりした撤退が、実は悟空の強さを最も雄弁に語っています。10カウントを数えるまでもなく、パワーを見せつけられただけで戦意が折れてしまったのですから。
なおギランはこの後、ピッコロ大魔王編でタンバリンに殺害され、ドラゴンボールによって生き返ります。魔人ブウ編でも一度命を落とし、やはり生き返っており、死亡回数はかつての対戦相手である悟空と同じ2回。妙なところで縁のあるキャラクターです。
豆知識:「悟空のシッポ」というタイトルは二度使われている
細かい話ですが、「悟空のシッポ」というサブタイトルは、実は本作でもう一度登場します。1987年7号に掲載された其之百七が同じ「悟空のシッポ」なのです。
其之百七は占いババ編を終えた後の展開にあたり、こちらでもやはり悟空のシッポが話題の中心になります。其之四十でシッポが再生し、其之五十一の大猿化を経て失われ、そしてまた——という流れを踏まえると、鳥山先生の中で「悟空のシッポ」が定期的に立ち返るモチーフとして機能していたことがうかがえます。
同じサブタイトルが再登場するのは本作では他にも例がありますが、シッポという身体的特徴が二度もタイトルを飾っているのは、やはりこの部位の特別さを示していると言えるでしょう。
アニメ版との違い
アニメ版のギラン戦には、原作にはない大幅な追加があります。試合開始直後に雨が降って中断となり、その間にギランが食堂で他の武道家たちと揉め、ヤムチャと一戦交えるという展開が挟まります。ジャッキー・チュンが仲裁に入るのもアニメオリジナルです。
さらにアニメでは、ナムの村の上流をせき止めて水不足を引き起こしていた張本人がギランであり、同じ姿をした仲間を束ねる立場だったという設定も加えられています。後に悟空がかめはめ波でそのダムを破壊した際、ギランが怒らずに感服してみせる場面もあり、この回の「潔さ」がキャラクター性として拡張されているわけです。
原作の第40話は、こうした寄り道を一切せず、ガム→場外→筋斗雲→抗議→シッポ→決着と一気に駆け抜けます。この密度こそが原作版の魅力だと思います。
まとめ
其之四十「悟空のシッポ」は、一回戦最後の試合をわずか1話で畳みつつ、ルールの曖昧さ、悟空の身体の秘密、そして決勝戦への時限爆弾という三つの仕事を同時にこなした密度の高い回でした。
筋斗雲は道具か否かという論争が、最終的に「自分の体で決めろ」という答えに着地する構成は、後から読み返すと実によくできています。そして何より、この回で戻ってきたシッポが、11話後に月を消し飛ばすところまで転がっていくのですから、当時のリアルタイム読者の驚きは相当なものだったはずです。
次回、其之四十一「クリリン対ジャッキー・チュン」からは準決勝が始まります。ここで悟空の年齢をめぐる衝撃の事実も明かされますので、あわせて考察していきます。

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