其之五十のサブタイトルは「悟空最大のピンチ!!」です。ジャッキー・チュンがついに奥の手・萬國驚天掌(ばんこくびっくりしょう)を繰り出し、悟空は電撃に捕らえられたまま、降参寸前まで追い込まれます。
ところが、悟空が「まいった」と言い終えるほんの一瞬前、夜空にのぼった満月がすべてをひっくり返してしまいます。
しかもこの回でジャッキーは、この技を自分に出させた相手は、生涯で悟空の祖父・孫悟飯ただ一人だったと明かします。祖父と孫、萬國驚天掌、そして満月。この三つが同じ夜に重なった其之五十は、決勝戦のなかでもっとも因縁の深い一話だと言えます。
其之五十「悟空最大のピンチ!!」のあらすじ
決勝戦はなかなか決着がつかず、アナウンサーは悟空がわずかにリードしていると伝えながら、陽が西に傾きはじめたことを告げます。観客席のヤムチャとクリリンは、悟空に声援を送り続けています。
そのなかでジャッキーは、ある技を使う決心を固めます。それまでの張りつめた構えを解いて自然体になると、この勝負は悟空の負けだと静かに宣言しました。腕まくりをしながらジャッキーが語ったのは、この技を自分に出させた者は生涯でたった一人しかおらず、悟空は二人目だということ。そして一人目は孫悟飯、つまり悟空のじいちゃんだったということです。じっちゃんとジャッキーが戦ったことがあると知り、悟空は驚きを隠せません。

ジャッキーは両手のひらを合わせて神経を集中させ、足を開いて力をためていきます。やがて離した両手が光りはじめ、そこから放たれた電撃が悟空を直撃しました。これが萬國驚天掌です。悟空は電撃の奔流に体ごと持ち上げられ、宙に浮いたまま悲鳴をあげます。

ジャッキーは降参を促しますが、悟空は舌を出してこれを拒否します。ヤムチャとクリリンまでもが、もう降参しろと叫びます。それでも耐え続けた悟空ですが、ついに限界を迎え、降参の言葉を口にしかけます。ジャッキーは、よく耐えた、孫悟飯でもここまでは耐えられなかったと悟空の健闘をたたえました。

ところが、悟空が「ま…まいっ…」と言い終える直前、その目に夜空の満月が映ります。悟空の体は再び大猿へと変わっていき、ピラフ城で大猿を目の当たりにしているヤムチャは青ざめ、ジャッキーとクリリンはただ目を丸くするばかりです。決勝戦は、勝ち負けとはまったく別の局面へと突入していきます。

「陽が西に傾く」──アナウンサーが告げていた満月の予告
この回は、アナウンサーの実況から始まります。激戦が続いていること、悟空がやや優勢であること、そして陽が西に傾きはじめたこと。何気ない状況説明ですが、ラストまで読むと、この一言がそのまま伏線になっていたことに気づきます。

実は、ここには天文学的な裏づけもあります。満月は、地球をはさんで太陽のちょうど反対側にある月です。そのため満月は、太陽が西に沈むころに東の空からのぼってきます。つまり「陽が西に傾く」という実況は、裏を返せば「まもなく東から満月がのぼる」という予告でもあったわけです。試合が長引いて夕暮れを迎えたこと自体が、悟空の変身の条件をひとつずつ整えていたことになります。
もうひとつの条件はシッポです。悟空のシッポは物語の序盤で失われ、天下一武道会のギラン戦でようやく生え戻りました。前回の其之四十九ではそのシッポが猿拳の武器になり、試合のなかでどんどん存在感を増していました。生え戻ったシッポと、夕暮れの決勝戦。満月がのぼれば何が起きるかは、ピラフ城の一件を覚えている読者には予想がついたはずです。
ちなみに、悟空が初めて大猿に変身したのは其之二十一から其之二十二にかけてで、其之二十一のサブタイトルはずばり「満月」でした。それから約30話。鳥山先生は、シッポの再生から夕暮れの実況まで手順を踏んで、満月をもう一度物語の舞台に呼び戻したのです。
萬國驚天掌は「倒す技」ではなく「降参させる技」だった
公式サイトの技紹介では、萬國驚天掌は手のひらを合わせて神経を集中し、電気ショックのような衝撃で相手の動きを封じる技とされています。ここで注目したいのは、「倒す」ではなく「封じる」技だという点です。なお技名は、かつてのテレビ番組『万国びっくりショー』が元ネタだとされています。
実際、作中のジャッキーは電撃を浴びせながら、何度も悟空に降参を促しています。萬國驚天掌は、相手を気絶させたりノックアウトしたりするための技ではありません。相手の意識をはっきり残したまま身動きを封じ、自分の口で「まいった」と言わせるための技なのです。
これを、前回のよいこ眠眠拳と比べてみると、ジャッキーの変化がよく見えてきます。眠眠拳は、悟空を眠らせたまま10カウントで勝とうとする技でした。前回の記事でも触れたとおり、この勝ち方では、悟空に「上には上がいる」という実感はほとんど残りません。
一方の萬國驚天掌は、悟空に意識があるまま力の差を味わわせ、負けを自分で認めさせます。これは、亀仙人が弟子たちに世の中にはまだまだ強い者がいると教えるために出場した、という大会参加の目的にぴったりかなう勝ち方です。
ジャッキーの態度も、前回とは別人のようです。猿拳に腹を立てて眠眠拳を繰り出したときの、意地になった老人の姿はもうありません。構えを解いて自然体になり、静かに腕まくりをして勝利を宣言する。この回のジャッキーは、冷静さを取り戻した武天老師そのものです。
ただし、この技には大きな危険がともないます。ジャッキーが降参を何度も促したのも、ヤムチャとクリリンが悟空に降参を勧めたのも、耐え続ければ悟空の身が危ないと分かっていたからでしょう。萬國驚天掌は、相手が意地を張れば張るほど、技をかけた側も追い詰められる技だったとも言えます。
孫悟飯と萬國驚天掌、そして満月──ジャッキーだけが知らない因縁
この回でいちばん重いのは、萬國驚天掌の「一人目」が孫悟飯だったという告白です。悟飯は亀仙人の弟子ですから、師匠に奥の手を使わせるほどの実力を持っていたことになります。ただし、二人がどのような経緯で戦ったのかは作中で語られていません。修行の一環だったのか、本気の手合わせだったのか、ここは想像するしかありません。
はっきりしているのは、ジャッキーが悟空と悟飯を比べたという事実です。悟飯でさえここまでは耐えられなかったという言葉は、少なくともこの技に耐える力において、悟空が祖父を超えたことを意味します。前回の記事で見たように、決勝戦では酔拳、ジャン拳と、二人の攻防の陰にたびたび孫悟飯が顔を出していました。その流れは、この回でついに師匠自身の口から語られる形で頂点を迎えます。
ところが、そこで満月がのぼります。ここで思い出したいのが、ピラフ城での悟空の話です。悟空はじいちゃんから満月の夜は外に出るなと言われていたこと、そしてじいちゃんが満月の夜に現れた怪物に踏みつぶされて亡くなったことを語っていました。その怪物の正体が誰だったのか、読者にはすでに察しがついています。
つまりこの回では、悟飯と悟空を比べた直後に、悟飯の死にかかわる怪物が姿を現すことになります。しかも作中で、亀仙人がピラフ城の一件に居合わせた描写はありません。大猿の存在を知っているヤムチャは青ざめ、何も知らないジャッキーはただ目を見張る。二人の反応の違いは、この情報の差をそのまま表しています。
かつての弟子の孫と戦いながら、ジャッキーは、その弟子の命を奪った怪物と向き合うことになりました。本人はそのことに気づいていない。読者だけがそれを知っている。其之五十の最後の数コマには、そうした静かな皮肉が込められています。
「まいっ…」あと一音の勝敗──「最大のピンチ」は誰のピンチだったのか
天下一武道会では、場外に落ちるか、ダウンして10カウントを数えられるか、降参すれば負けになります。悟空が「まいった」と言い切っていれば、その時点でジャッキーの優勝が決まっていたはずです。悟空の口から出たのは「ま…まいっ…」まで。第21回大会の決勝戦は、文字どおり最後の一音を残して首の皮一枚でつながったのです。
ここで見落とせないのは、ピンチを救ったのが悟空自身の力ではなかったという点です。悟空は根性で耐え抜いたものの、最後には降参を選びかけていました。流れを変えたのは満月という偶然であり、悟空の意志はそこに一切かかわっていません。
そう考えると、サブタイトルの「悟空最大のピンチ!!」は、二通りに読むことができます。ひとつは、萬國驚天掌で負ける寸前まで追い込まれた、試合上のピンチです。もうひとつは、大猿になって理性を失い、自分の意志とは無関係に暴れ出してしまうというピンチです。
ピラフ城で大猿になったときも、悟空は自分が何をしたのかをまったく覚えていませんでした。大猿の悟空は、敵味方の区別なく周囲を巻き込む存在です。観客席にはヤムチャやクリリン、ブルマたちもいます。電撃からは解放されたものの、悟空は自分自身を見失うという、ある意味でもっと大きなピンチに落ち込んでしまったのです。
前回の記事では、猿マネ、猿拳、そして大猿と、「猿」の度合いが回を追って濃くなっていく流れに触れました。その到達点であるこの回で、悟空は猿の真似をするのではなく、猿そのものになってしまいます。萬國驚天掌の電撃からの脱出は、同時に、悟空が「悟空」でいられなくなる瞬間でもあったのです。そして試合上のピンチが去った代わりに、本当のピンチは武舞台の上の悟空から、会場にいる全員へと移っていきます。
おわりに
其之五十は、冷静さを取り戻した武天老師が、奥の手で弟子を正面から追い詰める回でした。萬國驚天掌は、悟空に意識を残したまま負けを認めさせる技であり、「上には上がいる」と教えるための、まさに師匠の勝ち方だったと言えます。
しかし、その勝利はあと一音のところで満月にさらわれます。夕暮れを告げる実況、生え戻ったシッポ、そして孫悟飯の名前。いくつもの伏線が一点に集まった瞬間、試合上のピンチは終わり、悟空が自分を失うという別のピンチが始まりました。
大猿を知らないジャッキーは、この怪物を前に何を決断するのか。次回、其之五十一「天下一武道会大騒然!!」で、ジャッキーの下す決断は、武道会の勝敗どころか、この世界の夜空そのものを変えてしまうことになります。

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