前話其之二十六「?(ふしぎ)な女の子」では、悟空とクリリンが亀仙人の修業の条件である「ぴちぴちギャル」を探しに出かけ、街で警察に追われていた不思議な女の子——ランチと遭遇しました。金髪で凶暴だったランチは、髪が鼻にかかったことでクシャミをした瞬間、黒髪のおとなしい性格に豹変。
なぜ自分が警官に追われているのかすらわからなくなった彼女を、悟空が警官たちを追い払う形で救い出し、筋斗雲に乗せてカメハウスへ連れ帰ったところで前話は幕を閉じました。
本話「ランチのクシャミ」は、そのランチがカメハウスに到着してからの展開を描く回であり、ランチというキャラクターの「二重人格」設定が本格的に披露される、いわばランチ回の本番です。前話が「出会い」のエピソードだったとすれば、本話は「正体発覚」のエピソードであり、カメハウスという閉鎖空間の中で、ランチの体質がもたらすカオスが存分に描かれます。
カメハウスに「ぴちぴちギャル」到着
悟空とクリリンがランチを連れてカメハウスに到着すると、亀仙人は大喜びします。前回(其之二十四)で悟空が連れてきたのがガタイのでかい女性だったため、亀仙人は一度盛大にガッカリしていました。今度こそ亀仙人が思い描いていた「ぴちぴちギャル」の条件を満たす女の子がやってきたのですから、亀仙人のテンションが上がるのも無理はありません。

黒髪のランチは非常におとなしくて礼儀正しい性格であり、亀仙人の家に置いてもらえることに感謝の言葉を述べます。ここで彼女が「警察に追われていたから隠れたい」という事情を語るのですが、このおとなしい黒髪のランチが警察に追われる理由がわからない——というのが、この時点でのクリリンたちの認識になっています。
亀仙人は当然のように鼻の下を伸ばし、美少女と同居できることを喜んでいます。ランチもまた、屋根のある安全な場所に住めるということで安堵している。双方にとってWin-Winの関係が成立した——かに見えた、その矢先に事件は起きるのです。
最初のクシャミ——カメハウスに嵐が吹く
ランチが何かの拍子にクシャミをした瞬間、カメハウスの空気が一変します。
おとなしかった黒髪が一瞬にして金髪に変わり、目つきが鋭くなり、口調が荒々しい男言葉に変貌する。温厚だった少女がいきなり銃を取り出し、マシンガンを乱射し始めるのです。

亀仙人、悟空、クリリン——全員がパニックに陥ります。つい数秒前まで「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げていた女の子が、突然「なんだてめえたちは!!」と凄む姿は、読者にとっても衝撃的な展開でした。
金髪ランチは周囲の状況を把握できず、見知らぬ場所にいることに苛立ちを見せます。元々凶暴な人格が銀行強盗(原作では銀行強盗、アニメでは列車強盗)をして逃走中だったところにクシャミで人格が入れ替わったわけですから、金髪側から見れば「気がついたら知らない爺さんの家にいた」という状態。怒り狂うのも当然といえば当然です。
二度目のクシャミ——「二重人格」の設定開示
金髪ランチが再びクシャミをすると——また黒髪のおとなしい人格に戻ります。
この「クシャミをするたびに人格が入れ替わる」というギミックが、本話で正式に読者に対して開示されます。前話では悟空とクリリンがランチを保護する場面で一度だけ金髪→黒髪の変化が描かれていましたが、あの時点では偶然の出来事として処理されていました。
本話で金髪→黒髪→金髪(→黒髪)という複数回の変化が描かれることで、これが「偶然ではなくランチの体質である」ことが読者にも、そしてカメハウスの住人たちにも明確に伝わります。

黒髪に戻ったランチは、自分が暴れたことをまったく覚えていません。部屋が荒れていることに戸惑い、「なにか、いけないことしませんでした?」と無邪気に尋ねる。この「本人に自覚がない」という設定が、ランチの二重人格をより厄介なものにしています。
おとなしい人格は金髪の人格が何をしたか知らないし、金髪の人格もまた黒髪の時の記憶を持たない。完全に独立した二つの人格が一つの体に同居しており、その切り替えスイッチが「クシャミ」という、本人にも周囲にも制御不能な生理現象に委ねられているのです。
亀仙人のジレンマ——美女と弾丸のトレードオフ
金髪ランチの凶暴さを目の当たりにした亀仙人は、明らかに困惑しています。「ぴちぴちギャル」を条件に弟子入りを許可するつもりだった亀仙人にとって、確かにランチは条件を満たす美少女ではあります。しかし、その美少女がクシャミ一つで銃を乱射する凶暴な女に変貌するとなると、話は別です。
しかし亀仙人は結局、ランチをカメハウスに住まわせることを決めます。ここには亀仙人のスケベ心だけでなく、ある種の懐の深さが見て取れます。黒髪のランチは行き場がなく、警察から逃げている身でもある。その事情を知った上で追い出すような真似を亀仙人はしない。武道の達人としての器の大きさが、こういう細かい描写に現れているのです。
後の展開を知っている我々からすれば、この判断は正解でした。ランチはカメハウスで長年にわたって悟空やクリリン、亀仙人と生活を共にし、彼らの修行や冒険を陰で支え続ける存在になります。レッドリボン軍がカメハウスを襲撃した際には、わざとクシャミをさせて金髪に変身し、敵兵を蹴散らすという活躍も見せています。
亀仙人が「美女と弾丸のトレードオフ」を受け入れたからこそ、カメハウスの日常は豊かになり、物語にも彩りが加わったのです。
「ランチのクシャミ」と「ウーロンの変身」——パラレルな存在
ここでもう一つ興味深い比較対象を挙げたいと思います。ウーロンです。
ウーロンもまた「変身」の能力を持つキャラクターですが、ウーロンの変身は意図的であり、5分間という時間制限があります。対してランチの変身は非意図的であり、時間制限はなく、次のクシャミまで解除されません。
ウーロンは変身しても中身は同じ(ズルくてスケベなウーロンのまま)。ランチは外見だけでなく人格そのものが入れ替わる。ウーロンの変身は「見かけだけのハリボテ」であり、ランチの変身は「本質そのものの転換」です。
この対比は、ドラゴンボール世界における「変身」の多層性を示していると思います。見た目だけの変身(ウーロン)、人格ごと変わる変身(ランチ)、そして後に登場する理性を失う変身(大猿)や戦闘力を跳ね上げる変身(超サイヤ人)。鳥山先生は、同じ「変身」というモチーフを様々なバリエーションで描くことで、読者を飽きさせない工夫を凝らしているのです。
さらに言えば、ウーロンとランチには物語における役割にも共通点があります。どちらも「ぴちぴちギャル」に関連する文脈で物語に関わっています。ウーロンは変身能力で村の娘をさらっていた悪者として登場し、ランチは亀仙人の「ぴちぴちギャル」の条件を満たすために連れてこられた。
そして、どちらも最終的にはカメハウスのメンバーとして定着し、日常回のコメディリリーフを担うことになります。ドラゴンボールにおけるギャグ要員は、単なるお笑い担当ではなく、物語の転換点に絶妙に配置された触媒でもあるのです。
ランチの退場とドラゴンボールの「成長痛」
本話の考察の最後に、少し先の話にまで視野を広げてみましょう。
ランチは、原作ではサイヤ人編の直前(其之百九十六あたり)でカメハウスからいなくなり、天津飯を追いかけてどこかへ行ってしまったことがクリリンの口から語られます。以降、原作本編にランチが登場することは二度とありません。
鳥山先生自身が「ランチのことを忘れていた」と後に語っていることは有名です。しかし、忘れられてしまったこと自体が、ドラゴンボールという作品の構造的な変化を象徴しているとも言えます。
ドラゴンボールが「冒険もの」から「修行もの」へ、そして「バトルもの」へとスケールアップしていく過程で、戦闘力を持たないキャラクターは必然的に舞台から退場せざるを得ません。
ランチは戦闘力こそ持ちませんでしたが、カメハウスの日常回においては不可欠な存在でした。しかし、物語が天下一武道会やレッドリボン軍との戦い、さらにはピッコロ大魔王との死闘へと進むにつれ、「日常回」そのものの比重が下がっていきます。
日常回が減れば、日常回を盛り上げるためのキャラクターの出番も減る。これはランチだけでなく、ウーロンやプーアル、ヤムチャに至るまで、多くの初期キャラクターが経験した「インフレの波に飲まれる」現象です。ただ、ヤムチャやクリリンは曲がりなりにも戦闘に参加できる武道家であったため、出番がゼロにはならなかった。ランチには、そのセーフティネットがなかったのです。
とはいえ、鳥山先生は完全にランチを放置したわけではありません。其之二百十八「最後の気功砲」の扉絵では、過去に撮った写真という形で黒髪ランチの姿が描かれています。
また、大全集によれば、魔人ブウ編で悟空の元気玉に協力する場面の下描きでは、人造人間17号の位置にランチが描かれていたそうです。17号が一度も面識のなかった悟空の声を懐かしむような反応をしているのは、この名残だと言われています。
つまり鳥山先生の頭の片隅には、最後までランチの存在があったのかもしれない。「忘れていた」という言葉は、連載の忙しさの中で意識の前面から消えてしまっていただけで、完全に消去されたわけではなかった——そう考えると、少し救われる気持ちになります。
まとめ——「クシャミ」が切り拓いたカメハウスの新時代
其之二十七「ランチのクシャミ」は、ランチの二重人格がカメハウスの住人たちに正式に認知されるまでの顛末を描いた一話です。
ストーリーとしてはシンプルなギャグ回ですが、この回が果たした役割は大きい。ランチの加入によってカメハウスの人間関係はより複雑になり、日常回に「いつ爆発するかわからない爆弾」が常駐することになりました。悟空、クリリン、亀仙人、そしてランチ——この4人体制こそが、次話「修行のはじまり!!」以降の亀仙流修行編の基盤となるのです。
また、この話で本格的に登場したランチは、後にドラゴンボール世界で特異な立ち位置を占めることになります。武道家でも科学者でも宇宙人でもない、ただの「クシャミで人格が変わる一般女性」。それでいて、金髪時にはレッドリボン軍の兵士を蹴散らし、天下一武道会では暴れ回って特等席を確保し、天津飯に一目惚れして電撃告白するという破天荒な行動力を見せる。
「普通の女の子」が「異常な体質」によって物語に関わり続ける——この構図は、ドラゴンボールの世界観の広さを象徴しています。サイヤ人やナメック星人がいる宇宙規模の物語であっても、その出発点には、カメハウスという小さな島でクシャミをするだけで大騒ぎになる日常があったのです。
次話「修行のはじまり!!」では、いよいよ亀仙人の本格的な修行が始まります。
ランチが加わったカメハウスで、悟空とクリリンはどのような日々を過ごすのか。ぴちぴちギャルの条件はめでたくクリアされたものの、果たしてランチとの共同生活は無事に成り立つのか——次回、亀仙流の過酷な修行と、カメハウスの賑やかな日常が同時に幕を開けます。

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